笑いの非正規雇用問題と、笑いの寡占化
また高齢で衰えたお笑いタレントが人脈と既得権益でレギュラーポジションにしがみつき、若手の才能あふれる芸人さんがお笑いブームの時だけレッドカーペットやら何やらで単発で登場し、ブームが過ぎ去られれば簡単に切られているのはお笑いの正規雇用・非正規雇用の問題とも言い換えられるだろう。
今後、社会の高齢化が進み、顧客側も芸人側も高齢化に伴い笑いのセンスが鈍化していく中、日本全体の笑いのレベルがさらなる低下の危機にさらされているだけに、才能ある若手芸人の活躍を期待したい。
しかし吉本興業などが“笑い産業”を支配している限り、日本のお笑いは吉本のレベルから脱却できないのではないかと思うのだが、お笑い産業ほど長期間、新規参入会社のない産業も珍しい。芸能界に、ピュアに笑わせる能力という実力主義で年功序列関係なく人材登用できる新規参入業者がおらず、実質吉本や松竹による寡占業態であることも、日本の笑いのレベルが発展せず、タレントが面白くなく顧客である視聴者が退屈する一因になっている。
お笑いタレント自身の、“笑いのモティベーション”低下
もちろん、これまで述べたようなお笑い業界の高齢化や寡占業態だけが、芸人が面白くなくなっていくことを説明できず、お笑い芸人の笑いに対するモティベーションが落ちて映画製作や評論家、政治家を目指してしまうのも一因だろう。
たとえば笑いが人生で最も重要な時期は多くの人にとってそう長くはない。幼少期、京都府出身のあなたにとって、笑いは自身のコミュニティにおける政治力やパワーを示す重要なツールであっただろう。何せ学校という限られたコミュニティで人気者になるには面白いことを言うのがてっとり早いからである。
しかし度重なる受験などで周囲の価値観は“賢いことが重要”というものに変遷していく。そして社会に出てからは“賢い”に加え、リーダーシップや信頼感といった価値観が尊敬を受けるうえで重要になっていき、“笑い至上主義”としての笑いの位置づけはますます下がっていくのだ(代わりにコミュニケーションの潤滑油としての知的なユーモアは役割を増していくのだが)。
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