またお笑いタレントの笑いには“成功の罠”が一般的にあり、芸人として稼ぎまくって人生一丁上がりくらいになれば“笑わせて食べていく”という必死度も消える。そして何年も何十年も毎日笑わせる仕事に飽きていき、自分自身で自分の笑いに興味が薄まり、惰性でレベルの低い笑いに甘んじるようになるのだ。
さらには愛する奥さんや子供を大切に幸福な家族の時間を過ごすことのほうが、“笑い”より重要になっていくケースがほとんどである。ダウンタウンの松本さんなんかは結婚して面白くなくなり、子供ができてさらにつまらなくなった、とよく指摘されているが、これは決して珍しいケースではないようだ。
もちろん、テレビで見る芸人さんの姿と実際の姿は当然かけはなれていることも多いのだろうが、明石家さんまさんのように一貫してお笑いへの高い情熱と実力を示し続けるのは大変稀なケースである。(なお、さんまさんは凄いと思っている。他人を傷つけるような陰湿な笑いではなく、明るい笑いを一貫して提供しておられる)
漫才や寄席の現場に足を運んでみよう
さて、テレビのお笑いの質がどんどん低下していく中、笑いたくて笑いたくて仕方のない私たちはどのように生きて行けばよいのだろうか。テレビで見る芸人が面白くなくても、またお笑い業界の構造改革が期待薄でも、笑うことをあきらめるのは早い。
つまらないテレビ番組に絶望せず寄席とかグランド花月に足を運んでみると、驚くほど面白いことがあるのをご存じだろうか。これは、テレビなどでは視聴者の最大公約数である“田中さん42歳サラリーマン独身”や、“佐藤さん35歳主婦子供二人”、および“鈴木君高校三年生明治大学志望”をターゲットにするため、どうしても諸々の前提知識や経験値といったコンテクストを必要とする笑いは提供できず、一般向けに希薄化した笑いに落ち着いてしまうからだ。
これに対しより顧客セグメントを明確にした場面では、芸人もそのターゲット層に特化した笑いを提供できるので顧客満足度は格段に高まる。これを感じたのは私がよしもとの新年の寄席で桂三枝師匠(現在の文枝師匠)や桂文珍師匠の芸を見て、大爆笑とともにその“上質の笑い”に感動した経験がもとになっている。寄席も一流の噺家だと単に笑うだけでなく、人生の教訓がつまった話もあり面白い。
何百万といったマスを相手にした笑いだとその最大公約数である笑いの照準はどうしても貴方の笑いのレベルやツボとずれてしまうが、特定のセグメントが集まった場所だと芸人さん(優秀な真の芸人さんに限るが)もよりあなたのツボめがけて全力投球でき、テレビとは違い見違えるほど面白くなることがあるのだ。
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