ところが、2003年に転機が訪れる。ランボルギーニジャパンが設立され、日本における現地法人として販売を統括し、店舗の再構築を開始。それ以降、ランボルギーニのDNAを正しく伝えるマーケティング活動を開始し、販売拠点を増やしていった。かつては東名阪を中心に小規模なディーラーが存在していたに過ぎなかったが、歴史のある麻布店をメガディーラー・チェーンのスカイグループが取得。フェラーリのかつての輸入元であり、現在も最大のフェラーリ販売台数を誇るコーンズ・モータースが青山へ出店したあたりから状況が大きく変化してきた。
販売網の強化に力
そもそも世界的にランボルギーニはともにブランドをしっかりと育てていくべきパートナーであるディーラー構築がおざなりになっていた嫌いがあった。しかし、近年は販売網の強化に大きな力を入れている。
先日、残念なことに亡くなられたカウンタックのチーフエンジニアであり、その当時のランボルギーニCEOでもあったパオロ・スタンツァーニはかつて私に語ってくれた。
「名車といわれたランボルギーニ・ミウラだが発売当時は爆発的な人気を誇ったものの、しばらくするとまったく売れなくなった。それはセールスネットワークが脆弱だったからだ。しっかりした顧客フォローができなかったので、当初、喜んで買ってくれたステータスのあるオーナーたちが離れていって、市場に程度の悪い中古車がぞろぞろ並んでしまった」。しっかりとメーカーと販売店が一体となってアフターマーケットをコントロールすべきだったと”懺悔”してくれた。
日本に話を戻すと、ちなみに神戸は多くのブランドのディーラーを経営する光岡自動車、横浜も前述したスカイグループが母体となっている。これらオーナー企業は明確なレギュレーションの元にランボルギーニ社と契約が結ばれ、ランボルギーニ社が設定したデザインによる店舗設計や運用マニュアルに従って営業活動が行われる。新しいCIが発表されれば、それに従うべく、店舗サイドのリスクで改装しなければいけないし、ショールームに並べるモデルも決められる。
販売店もなかなか大変なのだ。そんなことから大資本で複数のディーラーを経営する、いわゆる”メガディーラー”しか、これらラグジュアリーブランドのディーラー権を獲得することは難しくなっている。今回の横浜店はスカイグループにとって麻布に続くランボルギーニとしての2拠点目だ。ランボルギーニジャパンのカントリーマネージャーであるクレシ氏は「(スカイグループが)2店舗目をオープンしてくれたということは、ランボルギーニのビジネスは悪くないということの証明でしょう」と笑う。
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