「ええじゃないか」再来?ダンスで豊橋を元気に! 豊橋とベリーダンスは相性がいい??

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古瀬:15年ぐらい前の豊橋は景気がよくて、ブラジル人の人口がすごく多かったんです(※トヨタグループによる雇用拡大の結果)。フィリピンやロシアから来た(水商売の)お姉ちゃんたちもわっしゃわっしゃいました。

私はアメリカにいた1年間で、海外からの仕入れルートをなんとなく入手していたので、サンバなどのダンスファッションも取り入れた洋服を売るお店をやっていました。どんな洋服かって? 下品ではない娼婦系と言えばいいのかな。色遣いが派手なので、外国人やショービジネスで働く人がお客さんの大半でした。

アメリカよりも豊橋の方が魅力的な人が多い

――アメリカ留学は1年間で終わらせたんですか?

古瀬:はい。コマーシャルアートを学ぶために行ったんですけど、私は基本的に学校が好きじゃないので、アメリカ各地を転々として過ごしていました。

高校時代はアメリカという国へのあこがれというか、妄想が強かったですね。メディアに出ているような華やかでクールな人ばかりがいると思っていた。でも、実際に行ってみるとすてきな人にはなかなか出会わない。住み込むまでの魅力はないなーとガックリして、豊橋に帰って来たのです。19歳でした。

豊橋に戻ってみたら、自分の意思で日本を選んでやって来て事業を起こしている変わった外国人がたくさんいた。あれ? アメリカより豊橋に魅力的な人がいる、こっちのほうが楽しいじゃん、と思いましたね。幸せの青い鳥は豊橋にいました(笑)。

――アメリカ全土と豊橋を比べるのはどうかと思いますけど、いい話ですね。

古瀬:留学というか、アメリカ旅行も無駄ではありませんでした。英語も学べたし、いろんな人に出会いました。すごく節約しながら旅行している人とか指輪を買ったり売ったりしながら放浪している人とか。20代なのに1年中旅して暮らしている男の子もいた。おカネはどうしているのかと聞いたら、「僕は不動産を持っているから大丈夫」だと。

それまでの私は「週5で働いて貯めたおカネで旅行する」という発想しかありませんでした。でも、アメリカにいて「どんな風にも生きていける。自分が面白いと感じて、周りも面白い感じになっていれば、住む場所はどこでもいい。こうでなくちゃいけない、というのはない」と気づきました。

福井:何でも受け入れてくれる由美子さんはすごいです。私は小学校の頃はファッションデザイナーになりたくて、専門学校では舞台演出や空間デザインを勉強しました。今、ショーや発表会の企画・運営をすることで、そのすべてが実現しています。自分が言ったことを音響さんや照明さんが実行してくれるのを見て、「私ってすごくいいポジションにいる!」と思うことがあります。

由美子さんと再会してなかったら、OLを続けて恋人と結婚して子育てするというコースを歩んでいたと思います。こんな経験はできなかった!と思うことが山のようにありますよ。自分たちが持っている能力を200%出して、舞台やお店を作っています。

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