留学生活は大変。でも人生最善の選択だった 留学から1年を振り返って感じたこと

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興味を持って楽しんで勉強しているか

そうは言ってもやはり、いきなりアメリカの大学生に混じって討論をするというのは難しいものです。そういう場合は、教授にきちんと事情を説明して、別の方法を模索することも大切です。私はあまり発言が得意なほうではなかったので、教授のオフィスアワーに行って質問をしていた結果、いろいろとアドバイスをもらえましたし、授業でディスカッションに参加できない分、授業後に自分が何を考えたのかを教授と2人で話す、ということもありました。その結果、その教授から次のようなメールを学期末にいただきました。

 I regard you as a model student: in America, perhaps out of defensiveness, we have invented a narrative about Asian education systems: that they train students to excel on tests and in feats of memory, that they emphasize rote learning, but that they kill creativity and squash any curiosity or love of learning. But I have a sneaking suspicion that that's all bullshit.

日本においてもアメリカにおいても、教養という面で重要なのは、自分がやっている勉強に興味を持っているか、楽しんでいるか、ということなのではないでしょうか。そのうえで、アメリカでは、自分がやりたいということを全力でサポートしてくれる教授陣、スタッフ陣がいるところが強みなのかもしれません。

みっともなくてもしがみ続ける力

この1年、何が自分を支えてきたのかなと思ったとき、「みっともなくてもしがみ続ける力」だったと思います。

授業中の私の発言なんて、「みっともなさここに極まれり!」と言えるくらい話すのが遅いし、自信なさげだし、魅せる力もありません。それでも、挑戦し続けるしか道はなく、そこで変にカッコつけてわかったフリをしてだんまりするのは、もったいないと思うのです。

私がこの「みっともなくてもしがみ続ける力」の大切さを感じたのは、実は、高校の頃のテニススクールでの振り回し練習のときでした。この練習では、ボレーヤー2人対ストローカー1人でコートに入って、ストローカーの人はひたすらボレーヤーに振り回され続けます。きわどいコースばかりに球が飛んでくるので、初めは頭で「あ、あれは走っても取れないボールだ」と判断してしまっていて、走る前からあきらめてしまったことが多かったのです。

そのたびに、コーチから「走らなければ取れる球も取れないだろ。やる気あんのか」と怒られる。それ以後、どう見ても取れないという球もとにかく走るようになりました。走った後、止まりきれずに壁にぶつかることをまったく考えずにとにかく走る。

その姿はすごくみっともないのですが、走り続けることで、今まで走ることさえあきらめていたボールが、ラケットに当たるようになるのです。初めは追いつけても、ネットにかかってしまうのですが、次はネット越そうと考えるようになり、ネットを越せるようになったら、次はコースを狙うぞと考えるようになり、どんどんできる範囲が広がっていくのです。

この練習をするまでは、自分の頭で限界を設定して、「これはできる。あれはできない」と決めてしまうことが多かったのですが、それは走ったら取れる球を見過ごしているのと同じです。走ってみればいいじゃないですか。走った後、壁にぶつかったっていいじゃないですか。みっともなくたって、ボールを追い続けることができる人はすごくステキだと思います。このメンタリティは、留学生活を通して重要なものだったと思います。

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