哲学→引きこもり→物理学→引きこもり
そのまま坂道を樽が転がるように法学部進学を断念し、一大決心して留年し、翌年、教養学科の科学史科学哲学分科(略して「科哲」という)に進みました。
しかし、そこには理系の学生もたくさんいて、数学や物理学や論理学を習得できない者は哲学をする資格がないと思い込み(これは間違いなのですが)絶望して、家で寝ていました(第1次引きこもり)。そのとき、あの「東大紛争」が発生、東大がなくなってしまうかもしれない、それはなかなかいいことだと思いながらも、私は寝ぼけ眼をこすって起き上がり、「みんな大学改革のために真剣に戦っている。俺は大学などなくなってもいい、だが、今、心から打ち込めるものを何かしたい」と思いました。
「そうだ、それは物理学だ!」
頭の中に鋭い閃光がひらめき、大学が封鎖されている間、私は物理学の大学院生を家庭教師にして(家庭教師についたのはこのときが唯一無二です)力学の基礎から学び始めました。やがて、大学の物理学演習問題もしだいに解けるようになり、力学を終え電磁気学に進んでいく頃、この美しい学問を究めたいと願うようになり(今から考えると、どうしてこういう考えが浮かんだのか不思議です)、物理学の大学院に行こうと決心しました。
とはいえ、これは突発性熱病のようなもので、意気揚々と理学部の授業に出ているうちに、何をやっているのかちんぷんかんぷんになり、物理学を断念、また1年留年して、哲学科の大学院に進みました。このところはうまく伝えられないのですが、「どうせ死んでしまう!」といううなり声が絶えずしている私にとって、行くべきところは哲学科しかないことははっきりしていたのですが、できればそれを避けたかった(だから、哲学科には行かずに教養学科に進んだのです)。そこに行ったら、自分がのみ込まれてしまいダメになるかもしれない、(毎日死を考え続けることができるからこそ)死んでしまうかもしれない、という直感がありました。はたして、私はその修道院のような雰囲気に耐えられなくなっていきました。
「カントだ、ヘーゲルだ、と研究して何になろう? たとえ世界的なカント学者になったところで、俺は死んでしまうのだ!」私は毎晩、新宿あたりをうろついて、ああ、このまま破滅してしまえ、と自虐的になり……大学院を中退、そして家で寝ていました(第2次引きこもり)。
やがて、このまま身体がマヒし死んだように生きるのもつらいと思い立ち、私は本郷にあったドイツ語出版社にバイトで勤めましたが、正社員になる道は(石油危機のために)閉ざされ、たまたまそこに来ていたドイツ語の先生に相談すると、「法学部に行きたまえ」とのお達し。いまさら法学部もないもんだと思いましたが、もう自分で判断する力もマヒしていて(こういうときの選択も的確なことがあります)、すがるように受験しますと、思いがけず面接だけで受かりました。そこで、立派な弁護士になるのだ、とも思ったのですが、じきに自分の内で「弁護士になっても死んでしまうのだよ」という声がささやき続け、うっちゃっておいた哲学に対する未練がむくむく頭をもたげてくる。
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