松下幸之助が「人間中心の政治」を説いたワケ 経営の神様が政治に対して考えていたこと

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人間は偉大な存在であり、人間は王者であるという考え方は、国の経営においても、大事なことやな。国民みな王者であると。無限の価値を持った人たちであるというように考えたならば、政治もそっくり変わるわね。そうなると、人間のための政治をせんといかん、国民の幸福のための、人間中心の、人間大事、国民大事の政治をせんといかん、ということになる。いまは、政治家は口ではともかく、自分大事やろ。

こうすれば国民のためになるということはわかっているけど、これはもう規則で決められておるからとか、規制をいっぱいつくって、自由な国民の活動をさまたげたりする。それもこれも自分の利権のためや。官僚も同じことやな。それは人々を、国民を王者であるというふうには考えておらんからや。人間は王者、国民は王者という人間観が、しっかりと身についておれば、個人的な権益のための政治はせえへんわけや。つまるところ、今の政治家は、国民を評価してへんのやね、本質的に。

けど、もうそういう考え方は変えんとな。21世紀の政治はできんわね。

国民に一生懸命働かせて、そして税金をとる。まあ、国家を維持していく、国民の福祉を維持していくというようなことをせんといかんのだから、ある程度税金は必要ではあるけれど、限度を越えたらあかんな。うん、もう限界やで、日本の税金は。

エッ?外国と比べたらあかんがな。日本より、いい状態の国と比較するなら、ええけどな。もういい国はないやろ。そんな国々と比べてみて、それでほかの国ではこうです、だからやるべきです、だからやるべきではないです、というのは、日本のレベルをさげるということになる。そんな発想は、きみ、もう時代遅れやで。だいたい、多民族国家と日本のような一民族国家と比べるのは、おかしいわね。当然、多民族国家では、政治の費用が掛かるからね。

そやから、日本としてどうなのか、みずからよしとするやり方はなにかを考えんといかん。ビシッと人間と日本と言う国柄に焦点があたっておらんから、どうも政治にムダが多いわな。

いまの日本の国家経営で考えんといかんことは、三つあるな。

一つは、いまも言うたけど、税金のことや。二つ目は土地の問題やね。三つ目は国是というか、国家信念ということやね。このほかにもいろいろあると思うけどな、この三つは政治の根幹を揺るがす重要な問題や。

無税国家から収益分配国家へ

税金については思いきった発想の転換をせんといかんな。このままではあかんわ。税金も度が過ぎると、一揆が起こるよ。苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)という言葉があるけど、まさに、苛斂誅求や。ここ数年のうちに国民がこういう政権では困りますと言うて、野党に一度政権を担当してもらおうというふうに考える。そういう事態も有りうるな。

やり方によっては税金は、国民からとらんでも国は経営をすることができるんや。

いや、きみ、ほんまやで。いま税金を考えるときに、まず考えんといかんのは国家予算の制度やね。あれは、きみ、単年制度やろ。予算をその年一年で使い切らんといかんわね。これが実にムダなことをすることになるんや。

とにかく年度末までに予算を使い切らんと、次の予算編成のときに、予算の枠が減らされる、小さくなるから、お役人は、期末にはもうなんでも使い切ろうとする。これがあかんわね。むだなこともする。そやから予算が膨らむ一方や。

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