ここで言うておくけどね、わしは人間の力が偉大だと言っておるけどな、人間は本来善であるとか、悪であるとか、強いとか弱いとか言うておるんやないんやで。わしは人間は偉大な力がある、偉大な存在であると。その力の発揮の仕方によっては、善は大きな善になるし、悪は大きな悪になる。強くもなるし、弱くもなる。けど、とにかく、よう切れる包丁やと。そういうことや。だからね、それがどう使われるかということが大事だということになるわね。
だからね、人間は偉大である。人間は宇宙の動きに順応しつつ、万物を支配する、そんな力をもっておるんやと。もう、千年前の、二千年前の、貧困、飢餓、浮浪、混乱の中で生まれた人間観から脱して、今の時代に合った正しい人間観を、そろそろ、人類が確立せん限り、これからの人間は、平和と幸福と繁栄を手に入れることは不可能やと思うな。
千年、二千年前に考え出された人間観、貧困、をなお持ち続けておってはどうもならんがな。もう耐用年数は終わっとるわね。
経営の第一歩は人間観の確立から
人間は偉大である。王者であるという見方に立てば、お互いに尊重しあう、敬意をはらうということもできるやろ。あなたは立派な方ですと。そうすると相手も、いや、あなたこそ立派な方ですと。な、けんかにもならんがな。そうすれば、そう簡単に争ったり殺し合ったり、戦争もせえへんわけやな。
ところが人間というのはつまらんと。小さな存在やと。そう考えれば相手を抹殺しようかと思ったりする。こいつは駄目や、つまらんヤツや、どうも頭が悪い、賢くない。すぐにそう考える。
そしたら、こいつをひとつ殴ってやろうか、バカにしてやろうか、そう思うようになる。そういうことは、わしは絶対にやるべきではないと思う。
ええか、きみ、経営をしておってもそやで。どの人も王者や、という考え方を根底に持っておらんとあかん。そこが大事やで。社員誰に対しても、ああ、この人はすばらしい存在なんや、偉大な力を持った人なんやと考えんといかんね。
それを、これはたいした人間ではないとか、きのう入ってきたばかりの、なんも知らん社員やとか、あるいはこれは日ごろから力のない、つまらん人やとか、そういう考えで社員と話をしたらだめやな。むしろ、部下が偉く見える、という気分にならんとな。
人間は王者であると。偉大な存在であると。そう考えれば、そうだ、この人に意見を訊ねてみよう、この人の話を聞いてみようということになるわね。あるいはこの人に仕事を任せても、しっかりとやってくれる、取り組んでくれるという、そういう気分になる。
提案制度も事業部制も単に経営に役立つからという程度の発想では、ほんとうはあかんわけや。こうした人間観に、その発想の根底がないとな。そうでないと深い経営理念にはならんわね。
また、こうした人間観を持たずして、信じるとか信頼するということは、ほんまもんではないわね。相手をつまらんと思って、それでその人を信頼するということはないからな。
経営者にとっていちばん大事なのは、この人間観やな。人間をどうみるか、どうとらえるか、そこをきちっと抑えたうえで経営を進めんと、大きな成功は得られんと思う。すべての経営理念の出発点はここからやで。
きみ、ここはしっかり覚えておかんといかんよ。まあ、この人間観は経営における第一ボタンやな、早い話が。な、最初のボタンをかけ違えると、きちんと服が着れんのと同じやがな。
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