残念なリーダーは「傲慢」で他人を頼れない

項羽と劉邦はどこで明暗が分かれたのか

また、『三国志』で有名な魏の曹操も、やはり才気にあふれた英雄であったが、曹操が立てた魏の国は、彼の死後、ほどなくして司馬氏にとって代わられ滅亡する。同じく『三国志』で最も才に長けた人物として有名な諸葛孔明も、劉備亡き後に蜀の国を任されたが、結局、蜀を再び興隆させることはできなかった。

才を用いることができる人は、自分の時代に組織を繁栄させるだけでなく、未来に繁栄を継続させる人でもあるのだ。一方、才に長けた人は、自分の時代には繁栄を見ても、それを継続させる力を組織に吹き込むことができない。

他人力は、会社や組織を継続的に繁栄させるための力でもある。だが、自分を超える才能を持つ人を用いるというのは、口で言うのは簡単でも、実際に行うことは意外に難しいものだ。経営者やリーダーを務めているような人は、だいたい才に長けた人である。

才のある人は、項羽のように、自分の才に自信があるだけに、なかなか他人の才を認めることができない。まして、部下が自分よりも有能であるということを素直に受け入れて、活用しようなどと考えるのは簡単ではない。

才は徳の奴なり

なまじ才があることが仇となって、他人力を発揮できないのである。だからといって、トップには才がなくてもよいということではない。トップに、経営力という才が必要なのはいうまでもないことである。自分ひとりで「仕事ができる」という技量よりも、自分よりも優れた他人の才を用いる器量が求められるということだ。

では、他人の優れた才を用いるために必要なものは何だろうか。

「徳は才の主、才は徳の奴なり」(『菜根譚(さいこんたん)』)という言葉がある。才は徳によって用いられるものなのである。他人の才を用いることが仕事のトップにとっては、英才であることよりも、有徳(うとく)のほうがより重要な条件となるのだ。

有徳の士とは、「有得の士」でもある。才ある人を使いこなすのが他人力であるといっても、使われる人がよろこんで全力を尽くしてくれるようでなければ、真の他人力の使い手とはいえない。人が誰かのために、自分の力のすべてを注ぎ込もうとするのは、そこに相手に対する強い信頼と深い尊敬があるからだ。

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この信頼と尊敬を生むのが徳ということになる。信頼と尊敬のある人の下には、必ずその人を慕って人が集ってくるものだ。徳は「王道」であり、力は「覇道」である。徳の成分は5つある。仁(他を慈しむこと)、義(道理にかなったこと)、礼(礼節をわきまえること)、智(物事の是非や善悪を判断する智慧)、信(言をたがえぬこと、真実であること)だ。
『論語』にも「徳は孤ならず、必ず隣あり」という一節がある。

徳のある人というのは、決して周りから疎まれたり孤立したりすることがない。必ずよろこんで手助けしてくれる人や協力者が現れるということである。リーダーにとって磨くべきは、才よりも徳なのである。才はなくてもよいというのではない。才のみで徳のない人はスペシャリストにはなり得ても、リーダーにはなり得ないということである。

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