世界から「特別扱い」される人が育つ仕組み スタンフォードでは、仕組みを作って合理的に褒める(後編)

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ところが、当日になって声をかけてくれたのが、やっぱり別の賞を取って呼ばれていた同僚のポール・ミルグロム教授だ。

「もちろんフヒトの都合で決めればいいけど、せっかくだから。もし行く気になったらなら、車に一緒に乗せて行くよ」

ここで前言撤回、誘いに乗ってみることにした。

「出る杭は打たれる」は、海を渡ったのか?

車の中でした会話はちょっと印象的で、今も覚えている。

「日本にいた頃は、あんまりこういう習慣ってなかった気がするんですけど、こんなふうに、受賞したことをあらためて褒める習慣があるのはいいですね」

と言ってみたら、

「出る杭は打たれる、っていうやつでしょ」

と。……あれ、アメリカにもそういうことわざがあるのかしら?

なんて思ったが、よくよく聞いてみれば、「組織の経済学」でたくさんの研究業績を持つ氏は、過去に日本企業を調べたことがあったらしい、文化についても知っていたのだった。やはり、この「出る杭」うんぬんは、ある種の「日本らしさ」ということのようだ。

こんな風に書いていると、賞や褒められることばかりを目的に勉強や研究をしているわけではないだろう、という批判も出てくるかもしれない。それはとても、もっともなことで、僕もおおいにそう思う。

実際、特にアメリカに来たばかりの頃は、こういった勉強礼賛や、世間的な成功ばかりを良しとする風潮に違和感を持っていた(まだ少し持っている)。

でも、だからといって、

「研究は、誰にも認められないとしても、ひたすら自分の興味だけでやるべきだ」

と言う人がいたら、それは理想論にすぎないと言い返したくなる(想像だが、研究以外の仕事でも事情は似ているのではないだろうか)。

もちろん良いアイデアを出すことが第一だけども、せっかくの発見だって、ちゃんと形にしないと誰にも共有されないままだし、共有されていなければ、その発見が世の中の役に立つかもしれない機会の多くは失われてしまう。

僕らの研究に関して言うと、形にすることは「専門誌での論文出版」というゴールに求められる。そして、この「アイデアを形にする」には、膨大な労力が必要になるのだ。

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