400年もの長い歴史を背景に持つクラシック界では、作曲家の生没年に起因したメモリアル・イヤーが毎年大きな話題となる。その中で、2016年最大の話題となった作曲家は誰かと言えば、間違いなく日本の武満徹(たけみつとおる)に違いない。
今年没後20年を迎えた武満の音楽は、年を追うごとにその評価を高め、今や世界中のコンサートホールで演奏が繰り返されるスタンダードな作曲家の1人に数えられるまでになっている。メモリアル・イヤーの今年は、“タケミツ・メモリアル”のサブタイトルを持つ東京オペラシティ・コンサートホールでの「没後20年武満オーケストラ・コンサート」や、Hakujuギター・フェスタ2016「武満徹へのオマージュ2」など記念のコンサートが目白押し。改めて武満徹の価値と魅力を実感する年になった。
といってもクラシックファン以外の方々にとってはおそらく未知の人物だろう。あらためて武満徹の人生とその魅力を振り返ってみたい。
大戦下で耳にしたシャンソンによって作曲に開眼
1930年10月8日、東京の本郷に生まれた武満徹は、保険会社に勤める父親の仕事に伴い生後1カ月で満州の大連に渡るが、小学校入学のために1人で帰国。その後学徒動員に駆り出された埼玉県飯能の山中で陸軍の食料基地を作る作業中、見習士官の一人が持参した手回し蓄音機から流れる音楽に運命的な出会いを感じて作曲家になることを決意する。
その音楽がリュシエンヌ・ボワイエというフランスのシャンソン歌手が歌う「パルレ・モア・ダムール(聞かせてよ、愛の言葉を)」であったことは、戦後しばらくしてから知ったという。
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