さて、現代音楽の担い手武満徹のもうひとつの魅力的な側面が、数多く残された映画音楽やビートルズの編曲作品、そして珠玉のようなポップ・ソングだ。熱烈な映画ファンであり、ギターやビートルズをこよなく愛した武満が、難解な現代音楽と並行してこの手の親しみやすい音楽を手がけることはごく自然な流れのようだ。そしてそこにこそ、他の現代作曲家とは一味違う武満徹の凄さと魅力が垣間見える。
代表的な映画音楽を挙げてみると、『狂った果実』『不良少年』『太平洋一人ぼっち』『他人の顔』『どですかでん』『燃える秋』など枚挙にいとまがない。テレビにおいてはNHK大河ドラマ『源義経』や『夢千代日記』が記憶に残る。これらの作品は、時を越えて今も生き生きとした姿でわれわれの目の前に現れる。そして、今年特に耳にする機会が多かったのが遺された21曲の歌曲、いわゆる『武満徹・ソングス』だ。詩人谷川俊太郎の詩や、自らの言葉につけられたメロディの美しさと絶妙な転調の妙には何度癒やされたことだろう。
言葉を浮き立たせる力を持つメロディ、それが武満の魅力なのだと改めて認識する。その“言葉”で言えば、文筆家としての武満の魅力も忘れがたい。遺されたエッセイの数々、特に病に冒された最晩年に病床で書かれた透き通るような文章は、深く深く心に残る。まさにわれわれと同時代を生きた作曲家武満徹をとても身近に感じる一瞬だ。そう、同時代の作曲家。その意味と価値はきっと後世の研究者や音楽ファンが検証し、改めて認識することになるのだろう。われわれは武満徹と同じ時代を生きたのだ。
同時代を生きる作曲だからこそ
武満徹が亡くなって15年ほど経った頃、ある冊子の中で、武満の一人娘真樹(まき)さんに、父との思い出を語ってもらったことがある。
「父はごく普通の日常の中で作曲をしていました。朝は比較的早起きで(前の晩、飲みすぎて朝帰りをしても)、たっぷりの朝食をとりながら母と取り留めのないお喋りをし、“そろそろ仕事をするか”と、日本茶の入った大きな茶碗を持って自分の部屋に入り、“お昼できたわよ”という母の声が聞こえるまで仕事をします。昼食が終わるとまた湯飲み茶碗を持って自室へ。プロ野球のシーズン中は試合直前に仕事をやめ、ビールを飲みながらラジオで野球中継を聞き(当時東京で阪神戦のテレビ中継は巨人戦のみ)、ひいきの阪神が勝った夜は深夜までスポーツ・ニュースを網羅していました。母によるとこのスタイルは、20代前半で一緒に暮らし始めた頃から亡くなる間際まで変わらなかったそうです。父にとって作曲はごく日常の行為であると同時に、とてもパーソナルな行為でした。演奏されることが決まっている委嘱作品でも、友人の演奏家にギフトとして曲を作っている時でも、ピアノに向かっている父の気持ちは、いつの日か演奏されることを夢見て曲を書いていた10代半ばの時と同じだったのだと思います」
真樹さんのこの言葉は、どんなに立派な武満論を読むよりもずっと説得力がある。個人的には、学生時代から足繁く通ったコンサート会場で見かけた武満徹の横顔が忘れられない。武満徹を見た、武満徹を聴いた。
それはまさに同時代を生きる音楽ファンであるわれわれの特権以外の何物でもない。2016年の武満徹メモリアル・イヤーはいよいよこの年末に向かってクライマックスを迎え、12月21日(水)にはオーチャードホール(東京・渋谷)で「没後20年 武満徹の映画音楽」公演が予定される。この機会にぜひ武満徹を体験して欲しい。
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