金箔に魅せられて、専業主婦は会社を興した 金沢の地場産業を、どうブランド化したのか
キーワードを基にビジネスのヒントを聞く日テレNEWS24・デイリープラネット「飛躍のアルゴリズム」。今回は、株式会社「箔一」の代表取締役会長・浅野邦子氏。専業主婦から起業し、経団連役員に起用されるまでの波瀾万丈の人生に迫る。
浅野さんは1967年に金沢にある銀箔を製造する箔(はく)屋の四男に嫁ぐ。しかし、オイルショックで夫の会社の業績がダウン。浅野氏自らが金沢箔を前面に出した商品を作るべく、1975年に「箔一」を創業。その後は、あぶらとり紙を商品化して特許を取得。事業の多様化を進める。2009年に社長を息子に引き継ぎ、自身は代表取締役会長に就任。また今年、“中小企業の女性経営者”としては初めての経団連の役員にも就任している。
素材からブランドに
――1つ目のキーワードは「箔屋に嫁ぐも、オイルショックの煽(あお)りで夫の事業は大打撃。ならばと、自ら職人の技術を学び見よう見まねで開発」。まず、オイルショックで事業に打撃ということですが、具体的にはどういう状況だったのでしょうか?
金沢の箔業界というのは、金箔とか銀箔とか色々あるんですけど、みんな素材なんですね。今までは、箔は素材産業ですので何かのブランドに名前を変えないと付加価値ができない。材料ですから。
例えば、三河の仏壇に変わると三河仏壇とか、京都の工芸品に変わると京都の漆器とかね。だから、金沢箔っていう名前がどこにもなかった素材産業だったんです。
――それで“金沢箔工芸品”というものを商品化したいということで、やってらしたということなんですけど、金沢箔工芸品として箔一さんで販売している“平安盆”は、金箔が主役ですね。他の商品も金箔が全面に出ています。
実は、これは本金の金箔ではなく、銀と真鍮(しんちゅう)なんですね。銀箔と真鍮しか変色しませんので。京都なんかでは、着色っていう技術はあるんですが、変色させるのは当社しかないんです。