「アニメで町おこし」の壁が高すぎる根本理由 作品舞台になった「聖地」の数に地域格差も

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地元の人の態度がコントロールできないかぎりは…。メールマガジン「小寺・西田の金曜ランチビュッフェ」2016年9月23日 Vol.097 <消費の秋号>より(撮影:今井康一)

アニメやゲームにあやかって

当記事はプレタポルテ(運営:夜間飛行)の提供記事です

アニメ作品の大ヒット、あるいはポケモンGOブームにあやかって、町おこしの話が頻繁に聞こえてくるようになった。アニメの舞台として描かれる町は、現実に存在する町を下敷きにしたり、あるいはそのものズバリの土地を描いたりすることで、作品にリアリティや郷愁を沿えるという手法が一般的になりつつあるようだ。

田舎を持つ人ならわかると思うが、実際にアニメの舞台で栄えるような地方は、そんなに簡単には見つからない。たいていは中途半端に再開発されて小綺麗になってしまうか、あるいは極端に寂れてゴーストタウン化していたりしている。いい具合に古く、そのまま町として生活が回っているところは、実はそんなにないのだ。

こないだの夏休みを利用して実家の宮崎に帰省したのだが、宮崎で一番の繁華街と言われる一番街通りでさえも、閉店後そのままになっているところがあり、その通りと十字にクロスする飲み屋街も、夜だというのに若い人の姿は極端に少ない。地元には若い人を引きつけるような仕事や産業もなく、少し野心がある子ならここに留まるという選択はないだろう。ここに住む人はみな悪い人たちではないだけに、刺激もまた少ないわけである。

しかしまあ、ふらふら飲み歩いている元気なオジサンたちはそこそこ居て、時間帯が悪いとお店もいっぱいで入れないこともある。ゆっくりと倒れつつあるが、その速度がゆっくりすぎて近くに居る人ほど気がつきにくい、そういう状況のように見える。

宮崎市は、町おこしをするには大きすぎる。市内の中心部に大きな面積を占めていた宮崎大学が移転し、大規模な再開発が行なわれたのが、もう30年近く前だ。それから「宮崎シーガイア」の巨額倒産、郊外のイオン進出、口蹄疫による畜産業の壊滅的打撃などがあり、町としての体力は徐々に削られていった。

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