金箔に魅せられて、専業主婦は会社を興した 金沢の地場産業を、どうブランド化したのか

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――そうなんですね。それにしても、このように商品を作られたときに一からやられたということですが、どのような経緯だったんですか?大変だったんじゃないですか。

それまでは、さっき言いましたように素材産業ですのでね。金沢箔のブランドがどこにもないというのが気になりまして、「金沢の人が金沢から作って発信したものを金沢箔工芸品としよう」と考えまして、やり始めました。

――そのときに全く製造の知識とかなかったわけですよね。どのように技術を得たんでしょうか。

実は、箔を納品する一番近いところに山中漆器があったんです。山中漆器を見ていきますと、やはり“山中塗り”となっていました。金沢箔というブランドがどこにもついてなくて、「悔しい!自分でちょっと何か作ってみよう」と思って、技術をちょっと盗みに行ってた(笑)。そんな感じですね。

販売に苦戦…他の地で地道な努力

――その後、商品化されて販売というのは、地元金沢から行ったんですか。

そうですね。金沢から始めましたけど、当時は金箔とか銀箔も高級品に使われてました。私は、金沢の箔に汎用性を持たせたかったもので、誰でも使える、日常で使い勝手のある工芸品にしようと思いました。

ですが、金沢でやっていますと、こういう伝統の中の日常雑貨のものはどうしても受け入れられませんでした。「家庭用品なら隣のおじさんもお姉さんも結婚式のときに使ってくれる」とか、そう思ってましたからね。

――ということは他の地に販売に行かれたと。

そうなんです。ずっと地元でやってますと、やはり伝統を汚すということで。だって箔は高級品ですから。それで、よその地へ行こうということで。

京都は、箔屋さんにお嫁に行ったから“玉のこし”にのっていると安心してましたから、まず大阪、それから全国へずっと。

――大阪の百貨店めぐりもされたということなんですけども、お1人で行かれたんですか。

そうですね。大阪は、その当時は山中漆器として色々あったんですが、私は金沢箔工芸品という前例のないものですから。「こういうのはもう受け入れられん」ということでしたね。

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