21. 江戸時代初期を代表する別荘として、公家によって京都の桂離宮、修学院離宮が造営された
22. 江戸初期からは別荘的なものとして将軍が狩猟に出かける際の宿泊施設として設けた鷹狩御殿が存在した
23. 八代将軍徳川吉宗が鷹狩用に設けた小菅御殿跡地は現在の東京拘置所。敷地内には石灯籠など当時の面影も
24. 江戸の大名屋敷には上屋敷・中屋敷・下屋敷の区分があり、上屋敷は参勤交代制度によりおよそ1 年ごとに江戸と本国を行き来する大名の、江戸における居住地
25. 下屋敷は主に江戸城から離れた郊外に置かれ、避難用の別邸から遊興のための別荘となり庭園として発展した
26. 六義園は徳川綱吉の側用人柳沢吉保が下屋敷として造営した大名庭園。造営当時の面影が今も残されている
27. 浜離宮恩賜庭園は甲府徳川家の下屋敷だったものが将軍家別邸浜御殿となり、現在は都立公園となっている
28. 清澄庭園は紀伊国屋文左衛門の別邸だったとの説があるが間違いで、久世大和守、松平美濃守らの下屋敷跡
29. 現在の築地市場は尾張藩徳川家蔵屋敷跡に造られた
30. 明治以降も大名屋敷の延長として近郊賓客接待型別荘が構築された。深川の岩崎別邸、飛鳥山の渋沢別邸など
31. 明治期に山縣有朋が本邸・別邸として建てた「椿山荘」「無鄰菴」「古稀庵」の庭園は近代日本庭園の傑作とされる
32. 日本の近代的リゾート(別荘地)は明治期のいわゆるお雇い外国人や宣教師によって開発の端緒がつけられた
33. 当時外国人による観光旅行は20のNumbered Routesと呼ばれる経路のみ許可されていたため、そのルート上の軽井沢や箱根、日光などが選ばれることとなった
34. また居留地から10里まで外出が許可されたことから横浜から10里以内の湘南エリアに多くの別荘が建てられた
別荘地・軽井沢の始まりは明治19年とされている
35. 別荘地・軽井沢のはじまりはカナダ人宣教師A.C.ショーが家族を伴って夏を過ごした明治19年とされる
36. 日本人が最初に軽井沢に建てた別荘は、1893年完成の旧海軍大佐八田裕二郎の邸宅
37. 箱根は明治20年、ドイツ人医師ベルツの進言で皇太子(大正天皇)のために芦ノ湖畔の高台に箱根離宮が建てられたことを契機として近代リゾート化が進んだ
38. 野尻湖は軽井沢の喧騒を嫌った宣教師により大正9 年に外国人別荘地が開発された
39. 那須御用邸は昭和天皇(当時皇太子)がかつて訪れたスコットランドの風景を那須に見出したことから造られた
40. 明治中期~昭和初期、中禅寺湖畔には大使館や外交官の別荘が40棟以上が集まっていた
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