機械は労働者の敵か?敵対と役割分担のあいだ
人とコンピュータ、機械との戦いは、ビジネスにおいても定番の話題の一つである。歴史を遡れば、産業革命の折、ラッダイト運動なるものが行われたことがよく知られている。生産性の高い機械が登場した当時、自分の仕事が失われることを危惧した労働者たちが、機械を破壊してまわったといわれる。
似たような問題は、今でも起きている。たとえば、オフィス・オートメーションは、これまで人が担ってきた業務をずいぶんと代替してしまった。
計算処理も、昔は算盤片手の訓練を要する作業だったが、今ではキーボードをたたくのみである。
これだけは真似できないといわれてきたような暗黙的な職人芸ですら、いつの間にか機械に習得されている。
その一方で、逆の語りもよく聞く。やはり人が大事だ、というわけである。理由はいろいろある。たとえば、ITを導入しても、それだけでは役に立たない。結局それを解釈し、運用するのは人なのだ。また、機械は決められたことしかできない、創造性を担うのは、人の役割だ、と。
両者の対立を調停しようとすれば、考えられるのは役割分担だ。機械が得意なこと、人が得意なこと、それぞれ分担してやっていくことが大事というわけだ。たとえば、単調な反復作業は機械に任せ、人はより創造的な活動を行うとする。ここに分業の重要性が示される。
現実的な落としどころはこのあたりだろうが、もう少しうまい説明や視点はないだろうか。人が大事だ、という主張も、うまい分業が大事だという主張も、わかりきったことである。せいぜい分業の具体的な方法を考えることくらいしか、考えるべきことは残されていない。
ちょっと遠回りになるが、一つアイデアがある。先日、商業論と社会学という二つの研究領域で聞いた話だ。将棋の世界はともかく、ビジネスの世界に対してならば重要な視点を提示できるかもしれない。鍵になるのは、創造性とは、具体的にどういうものなのか? ということだ。
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