なぜ「ノマド批判」がなくならないのか? ノマド批判と「中島みゆき」

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こうした気晴らしは、彼らの立場が永続的でないということの不安から逃れるために行われる。不確実性の高い、競争の激しいサッカーなどのスポーツが好まれるのも、そうした自身の置かれた立場をそこに写し取って見るからである。

アンチノマドはなぜ執拗にノマド批判を繰り広げるのか

それにしても、ノマドとして生きることの厳しさを知る人が言うのであればまだしも、ノマドを知らぬ人が、なぜかノマド批判に花を咲かせる。この構造は滑稽ですらある。彼らは、ノマドで生きていく人たちのことが心配で言っているのではない。彼らの本心はそこにはない。彼らはノマドが増えることで、社会や会社の仕組みが揺らぐのを心配しているのであり、またそれによって自分の立場が失われる可能性を危惧しているのである。こうした相手への「愛のあるアドバイス」をかたったノマド批判は、保身のためのものであり、ノマドを謳歌する人への呪詛として語られるのである。

こうした呪詛は、今に始まったものではない。移動の自由を得た人が都会へ出て行こうとするとき、それを止めようとするのは、そのことによって被害を受ける側である。そしてその方法は、権利としては否定しようがないため、脅しにも似た「アドバイス」の形態を取るのである。

それはある意味、脊髄反射的な素直な反応である。そして確かに、彼らの言い分にも、理はある。これまで、若者が企業に尽くしてきたからこそ、その後の生活が保証された。われわれも企業に尽くした。今度はお前たちが会社を支える番だ、と。

しかし残念ながら、終身雇用や年功序列の慣習が失われてしまった。ノマドに最も反発を覚えるのは、おそらく40代だろう。過去の家族経営的な企業も知っており、同時に将来に不安を感じている世代でもある。そして説教くさくなる年齢もこの頃で、筆者の周りにも上から目線で語り始める同世代が増えてきた。真に自尊心を持つ人はこういうことはしない。やはり不安の裏返しなのだろうと思う。

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