──今、この時期になぜ出光に注目したのですか。
日本経済は1990年代から右肩下がりが続いてきている。したり顔の経済学者はリーマンショックを「100年に一度の大不況だ」として、どうしようもないかのように言ったりする。そこに2011年3月には東日本大震災が起こった。日本は大きな痛手を受け、世に一種のあきらめムードが広がっていった。
作家として東日本大震災後、こういう状況の中でいったいどういう物語を書いていけばいいのか、どういう人たちにどういう小説を届けるべきなのかとしばらく悩んだ。その頃に出光佐三という男を知った。
彼の95年の生涯、彼の生き方を追いかけていくと、「この男の生き方を今書かねば」とがぜん意欲が湧いた。小説は人々に生きる勇気を与えないといけない。いろんな人が読んで、生きる勇気と喜びを持ってもらえる作品を書けたらいいと、それだけだった。
──戦後の状況はもっと過酷だったはずです。
それが30年足らずで欧州の国々を追い越して米国に次ぐ第2の経済大国として復活した。すごい底力だ。そうできたのは、僕らの祖父世代が頑張ったからだ。それを考えると、今の日本はとても恵まれている。それなのに夢も希望もないなどとは、恥ずかしくて言えない。
僕らにはそのDNAがある。自信を失っている経営者、労働者、日本人たちに、出光と出光を支えた男たちの生き方を知ってもらいたい。それが執筆のきっかけだった。
──上下巻で計700ページを超えます。
もともと執筆は速いほうで、半年で書いた。多くの人に、「これは構想何年、執筆何年というレベルの本ですよ」と言われた。
──それだけ主人公が魅力的だったのですね。
最高だった。こんなすごい男がいたのか、と。出光について名前ぐらいは知っていたが、この本のクライマックスを飾る日章丸事件についてはまったく知らなかった。五十何年生きてきて初めて知った事件だった。
当時の新聞の縮刷版を見ると連日1面トップを飾っていた。日本が国際的な影響を与えた、その年に起きた最大の事件だったと思う。ところが、これが今日完全に歴史の中に埋もれてしまった。
イランへ原油を引き取りに行った日章丸の新田辰男船長も、イランとの契約を成し遂げた佐三の弟や重役も、それを支え抜いた部下たちも、とにかくすごかった。でも彼らだけでは絶対できなかった。当時の東京銀行あるいは東京海上火災保険、通商産業省があえて法律違反を犯してでも出光の決断を支える。あえて自分が犠牲になってでも出光を助けてやろうという、国のためを思うサムライたちが、銀行にも保険会社にも官僚にもいた。