量子物理学に今、革命が起ころうとしている

「神の粒子」を超えた探索が始まった

レーダーマンは傑出した実験家であるのみならず、ウィルソンの志を継いで、研究所と周辺の環境との融和や地域住民との交流にも努めた。また、本文中にもそれとなく触れられているように、飛行機に飛び乗ってワシントンDCに乗り込んでは、基礎科学研究への助成を精力的に訴えてきた。

さらに、次世代への科学教育のためのプロジェクトにも多大なエネルギーを注ぎ、この方面ではレーダーマンその人に捧げられた本もあるほどだ。(『Science Literacy for the Twenty-First Century』[邦訳『科学力のためにできること科学教育の危機を救ったレオン・レーダーマン』渡辺政隆監訳、野中香方子訳、近代科学社])。

テバトロンを完成させるためには、テクノロジーの壁をいくつも乗り越える必要があった。とくに重要だったのが、本書にも折に触れて登場する超伝導磁石である。フェルミ研究所は、このタイプの強大な磁石を作るためにユニークな設計思想を打ち立て、その後世界中で作られたほとんどの加速器はそれを継承している。さらに、そうして開発されたテクノロジーは、加速器のみならず、さまざまな分野での応用を生み出すことになった。レーダーマンは、純粋な基礎科学研究のために開発されたテクノロジーや概念が、医療や情報通信をはじめとする多くの分野で、現実の社会に大きく貢献できるということを、最先端の現場でまのあたりにしてきたのである。

とかく世間では、科学のビッグプロジェクトというと、「どうして理系オタクの知的好奇心なんかに、われわれの税金を使わなきゃいけないのか」という反応が起こりがちだ。しかし、それは間違いだ、とレーダーマンは本書の中で訴える。そう思い込んでいる社会の未来は暗い。科学には正真正銘、社会を活気づけ、豊かにする力があるのだ、と。

古典物理学から量子物理学への転換に匹敵する革命とは

20世紀の後半には、次々と大きな粒子加速器が作られ、どんどん高いエネルギー領域に手が届くようになった。加速器でビーム粒子のエネルギーを上げるということは、その粒子の量子波長を短くすることだ(木材伐採用のナタを、手術用のメスにするようなもの)。ビーム粒子をきりきりと絞りあげて、小さな世界を見ようとするわけだ。

また、粒子と反粒子のビームを逆向きに加速して正面衝突させれば、両者は打ち消しあって、あとには純粋なエネルギーだけが残される。これは無駄をなくして大きなエネルギーを得る方法である。エネルギーを元手に、身の回りの世界には姿を見せない、質量の非常に大きな(それゆえ、作るためには大きなエネルギーを要する)、新粒子を作り出すこともできる。そうして作られた不思議な粒子たちがダイナミックに相互作用をする、驚くべき量子物理学の世界が、われわれの目の前に着々と広がっていった。

こうして、次々と高いエネルギー領域を目指すアプローチのことを、「高エネルギーフロンティア」という。このアプローチを一般向けに説明するときは、しばしば、「宇宙の始まりに迫る」とか、「未知の(重い)粒子を作る」といったキャッチフレーズが使われる。

20世紀には、このアプローチからめざましい成果が上がった。実験と理論とが、あたかも車の両輪のようにうまく噛み合って回り出し、こんにちの量子物理学の基礎となる「標準理論」が作られた。しかし大きな成果が上がったがゆえの副作用もあった。素粒子物理学の実験というのは、次々と大きな加速器を使って高エネルギーフロンティアを切り開くことだ、というイメージが固まってしまったのである。

しかし、そのイメージは間違いだ、とレーダーマンは力説する。レーダーマンは、高エネルギーフロンティアを先頭に立って開拓してきた人物である。しかし第一人者であればこそ、そのアプローチだけがすべてではないことも知っている。そもそも、こんにち量子物理学で記述される、素粒子たちの不思議な世界が、どうやって発見されたのかを考えてみればいい。19世紀の末に古典物理学が完成すると、あとは細部をこつこつ詰めていくだけだ、という見方が支配的になった。物理学にはもうやるべきことは残されていない、物理学は終わったのだ、という気分がはびこった。

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