量子物理学に今、革命が起ころうとしている 「神の粒子」を超えた探索が始まった
そんなとき、アンリ・ベクレルやキュリー夫妻ら先駆者たちが、古典物理学という壮麗な建物に入った小さなひび割れから漏れ出す、かすかな光に気がついた。そして、当時はまだ誰も想像すらできなかった量子物理学の世界を、初めてその目で垣間見たのである。
かすかな光を捉えるためには、東欧のウラン鉱山から譲りうけた何トンもの廃棄物を、汗水たらして精製し、わずかばかりの放射性核種(ラジウムやポロニウム)を取り出すこともやった。精製の方法を工夫し、精密な分析を行ってきわめて稀な現象を捉えたのである。それは非常に実り多い、現実的かつ有力なアプローチだった。
量子物理学に新たな突破口を切り開こうという企て
本書の特筆すべき特徴は、ベクレルやキュリー夫妻らの足跡に学び、現代のテクノロジーを駆使することで、現在の実験のパラダイムを変えよう、そして量子物理学に新たな突破口を切り開こうという企てを、レーダーマンが熱く伝えていることだ。その新しい実験のパラダイムが、「大強度(ハイ・インテンシティ)フロンティア」である。
それは、ビーム粒子をきりきりと絞り込む代わりに、非常に多くの陽子を詰め込んで「大強度」のビームを作り、そこからまた大強度の二次粒子ビームを作り出す。そうして得られた強いビームを、さまざまなターゲットにあびせかけ、結果として得られる膨大なデータを精密に分析して、きわめて稀な現象を捉えようというものだ。
フェルミ研究所はいちはやく、高エネルギーフロンティアから大強度フロンティアへと舵を切った。その基幹となるのが、第八章で紹介されている大強度陽子衝突型加速器、プロジェクトXである。
かつて先駆者たちが稀な現象を捉え、古典物理学という壮麗な建物に入った小さなひび割れに気づいたように、こんにちの物理学者たちは、「標準理論」という壮麗な建物に入ったひび割れを探そうとしている。標準理論は絶大な成功を収めたが、それにもかかわらず、物理学者は誰ひとりとして、この理論に満足してはいない。この理論は、自然界の4つの力のうち重力を扱うことができないし、標準理論というひとつ屋根の下にあるとはいえ、電磁気力と弱い力の統一理論と、強い力の理論も、実質的にはつぎはぎの寄り合い所帯だ。
それに加えて、標準理論に登場する粒子たちが、なぜ3つの世代になっているのか、なぜ質量が実験からわかるようなばらばらの値になっているのか、なぜクォークの電荷が電子の電荷の3分の1なのか、といった多くのことが、この理論ではまったく説明できないのである。さらに言えば、この宇宙の少なからぬ部分を構成していると考えられているダークマターを構成する粒子についても、どうやら標準理論では説明できそうにない。要するに、実験と手に手を取って歩んできた標準理論は、実験をみごとに説明する一方で、あからさまな欠点を抱えてもいるのである。
そんななか、標準理論を超えようとするエキゾチックな理論だけはたくさん提案されており、レーダーマンに倣って言うなら、その数は「シカゴに生息する野良猫より多い」ほどだ。科学において真理の判定者は実験であり、新しい世界を切り開くのも実験である。実験家の肩には大きなものがかかっている。われわれの想像を超える世界が、まさに目と鼻の先に潜んでいるかもしれない、いやきっと潜んでいるはずなのだ。かすかな光を捉えて、この難局を突破しなければならない。
古典物理学から量子物理学への扉が開かれ、思いもよらぬ世界が目の前に広がったように、まさに今、量子物理学に大きな革命が起ころうとしているのである。
本書の原書タイトルは『Beyond the God Particle』だが、すでに「神の粒子」を超えた探索が始まっているのだ。
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