“構造不況”のシャツ業界で、儲ける方法 専門店トップ、東京シャツの鈴木社長に聞く

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――その後、業態を転換した。

1997年に、私が百貨店の店頭に立っているときに、お客様に指摘されたんです。「このミラ・ショーンのシャツは、ブランドがつかなかったらいくらで売ってくれるんですか?」とね。びっくりしました。お客さん自体がそんなことをよく知っているなと。そのときはもうバブルも崩壊して、ブランド物であれば価格が通用するという時代は、終わりを迎えていた。そのときのお客様の言葉が、SPAに舵を切り替えるきっかけになりました。

――そんなに百貨店のシャツは高かった?

百貨店の掛け率(マージン)は55%、うちの取り分は45%。一般のお客様は、本当はものすごく高い商品を買っているということです。私は「これからの時代は4000円で売れるシャツを、百貨店で1万2000円で売る商売はやっていけない」と悟ったのです。

しかし、シャツ屋が違う業態をやるといってもシャツしかわかりません。それで「シャツ工房」を97年に試験的に立ち上げて、その後3年間ぐらい慎重に検証を進めて、2000年から本格的に出店を始めたところ、狙いが当たりました。

「百貨店の3分の1」で勝負

――百貨店よりも低価格というコンセプトがヒットした?

そのとおりです。当時から一般のエンドユーザーになるべく高品質なシャツを、なるべく安い価格で提供したいという夢がありました。素材も縫製もすべて絶対的にいい品質で、極力お客様が買いたい価格に値頃感を追求しようと。当時は品質の水準が百貨店向けとまったく一緒で、3分の1ぐらいの3800円で売り出したんです。

また、当時のシャツといえばベーシックな実用衣料という位置づけで肌着と一緒でした。まったく流行がなくて、いまだに10年前の在庫がバーゲンで出回るような商材ですからね。サラリーマンご用達のシャツという印象では差別化できない。そこで、シャツは実用衣料ではなくてファッション衣料だということを目指して、デザイン性の高いシャツを作ったのが評判を呼んだ。「高品質、高感度、値頃感」という3本の矢を実現し、そのコンセプトが今の東京シャツでも受け継がれているわけです。

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