“構造不況”のシャツ業界で、儲ける方法 専門店トップ、東京シャツの鈴木社長に聞く
「3年で3回」辞表を出した江戸っ子社長
――鈴木社長の話を伺うと、豪快な性格だと感じます。
東京都江戸川区平井生まれの生粋の江戸っ子です。ろくなもんじゃないですよ。大学4年間でほとんど学校には行きませんでした。シャツ屋に入ったのも、読売新聞の広告で募集を見て、交通費1000円もくれて家から近いから受けたというだけ。
初めは小田急百貨店でシャツの販売員として働きましたが、仕事がイヤで3日目で辞表を出しましたね。それから3カ月、3年目でまた辞表。何度も上司と母親に止められて、続けてきただけです。ただね、販売から生産までずーっと現場にで携わってきたから、シャツには誰よりも詳しいし、こだわりを持っています。
――社長に就任したのは?
社長になったのも偶然ですよ。1995年に、経営難に苦しんでいた前社長がある日突然いなくなり、銀行からの融資25億円を個人保証するのに、持ち家のない私にお鉢が回ってきた。そのときは本当に貧乏くじを引かされたなあ、と思いましたね。だから自己破産の手続きは今でも詳しい(笑)。今でこそ安定していますが、中小は本当に資金繰りが大変なんです。逆に資金繰りさえうまくいけば、こんなに面白い商売はない。
――今後の見通しは。
毎年出店数がだいたい20店、純増で15店舗増ペースなので、2020年ごろには国内300店舗まではいけるとみています。日本の給与所得者は6200万人、当社は商圏人口20万人だとまあまあの売り上げが取れるから、単純に割った300店舗がひとつの区切りです。
そこで飽和するなら(日本の)外に出て行くしかない。海外はすでに7店舗を展開している中国や、話がきているベトナムや米国、欧州などにも興味はあります。ただ、次の世代に任せようかと思っています。私もあまり長くはできないので。
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