(第2回)「動物化」論をめぐって

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稲葉振一郎・山形浩生

教養とは何か、現代日本人に教養は必要なのか--社会思想研究家の稲葉振一郎氏と翻訳家・評論家の山形浩生氏が、さまざまな切り口から「教養」を語る。

 山形 前回お話しした東浩紀の「動物化」論では、アニメなどの二次元の世界にはまって、オタク化してゆくことを「動物化」と呼んでいます。人が社会に出て、職業に就いたり、女の子とデートをしたりすると、いろいろなしがらみを考えなければならなくて、とっても面倒くさい。だから、ボタンを押せば可愛い女の子が画面に出てきて、それを見て「萌える」という、刺激に対する単純な反応の世界に人々は落ちていく。これが最近の傾向だというわけですね。
 オタクに支持されるアニメにもその傾向があらわれていて、かつての「機動戦士ガンダム」であれば、地球連邦とジオン公国が対立していて、両者はかくかくしかじかの経緯があって戦争状態に入って……という、いわば「ガンダム的世界観」なるものを理解しないと、入り込めませんでした。ところが、「新世紀エヴァンゲリオン」になると、いろいろな意味ありげな符蝶が散りばめてあって、見る人はそこから好きなものだけをとってくればよい。あるいは、「綾波レイ(エヴァンゲリオンの登場人物)の包帯姿が好きだ」と言って、そこだけに「萌える」人もいる。「ガンダム」のように全体像を理解しているのではなく、これはまさに、刺激に対する単純な反応だというわけですね。

 稲葉 東の「動物化」論はたいへんおもしろいと思いますが、僕が『モダンのクールダウン--片隅の啓蒙』(NTT出版、2006年)に書いたように、彼がきちんと言っていないこともあります。
  近代化が進んでゆくと、たとえばポップカルチャーが肥大化して、1つの産業として成立するようになる。悪趣味が公認されて、低俗なものが市場を支配していく。反省の契機はどんどん抜け落ちて、良い意味での「洗練」というものが失われていく。東は1つの事実診断として、こういう状況に人は適応していくのは逃れがたい傾向であると言ったわけですが、ではそういう傾向に対して、彼自身がどう思っているかは、明らかではないんですね。
 『モダンのクールダウン』では、東がある意味腰が引けて言えなかったことを、本田透の『電波男』(三才ブックス、2005年)と『萌える男』(ちくま新書、2005年)が言ってしまった、と位置づけています。あくまで逆説的にですが、本田は「動物化」というものを積極的にとらえています。虚構に耽溺して現実を顧みないことには、明確な意味がある、というわけですね。
 本田の言葉を借りれば、生身の人間を相手にするのではなく、「脳内恋愛」をする。「ぼくたちは、鬼畜になりたくないから、萌えるんだ!」というわけです。「鬼畜」というのは、彼の好きな「ギャルゲー」(美少女ゲーム)に登場する鬼畜キャラクターのことですが、これは彼の名言だと思います。
 現実の人間を相手にすれば、傷つけるし、また傷つけられます。本田の「脳内恋愛」論のポイントは、傷つくことをおそれて単に退却する、ということから一歩踏み出して、傷つけることからも脱却するということにあります。現実の人間と交流せず、管理された環境の中で飼育された動物のごとく生きる--それこそ「動物化」することは、もし徹底できるならば、ある種の「出家」的な意味合いを持ちうると言うのです。東浩紀はそこまでは言えませんでしたが、本田透は、彼独自の諧謔を駆使して、半分冗談のような形で言ってしまいました。半分は本気だと思いますけどね。
 そういう見方に対して、どう答えるべきかというのが、『モダンのクールダウン』の1つのテーマでした。確かに、現実世界から縁を切ってどこかに閉じこもるのは、良いことではないかも知れないが、悪いことでもないかも知れません。しかしいずれにせよ、この見方は少し大げさすぎるのではないかと思います。みんながみんな「動物化」するわけでもないし、個人をとっても四六時中、動物化しているわけではない。たいていは動物でたまに人間という人も、反対に、たいていは人間でたまに動物という人もいるでしょう。こういう配合の問題にすぎないのでしょうね。

稲葉振一郎(いなば・しんいちろう)
明治学院大学社会学部教授。1963年生まれ。主な著書に『経済学という教養』(東洋経済新報社、2004年)、『オタクの遺伝子』(太田出版、2005年)、『「資本」論--取引する身体/取引される身体』(ちくま新書、2005年)、『マルクスの使いみち』(共著、太田出版、2006年)、『モダンのクールダウン』(NTT出版、2006年)等。
ウェブサイト:http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/

山形浩生(やまがた・ひろお)
評論家・翻訳家。1964年生まれ。主な著書に『新教養主義宣言』(晶文社、1999年)、『たかがバロウズ本』(大村書店、2003年)、訳書に『環境危機をあおってはいけない』(ビョルン・ロンボルグ著、文藝春秋、2003年)、『クルーグマン教授の〈ニッポン〉経済入門』(春秋社、2005年)、『ウンコな議論』(ハリー・G・フランクハート著、筑摩書房、2006年)等。
ウェブサイト:http://cruel.org/
稲葉 振一郎

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山形 浩生 翻訳家

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やまがた ひろお / Hiroo Yamagata

翻訳家。1964年東京生まれ。東京大学工学系研究科都市工学科修士課程、マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程修了。大手調査会社に勤務する一方で、科学、文化、経済、コンピューターなどの幅広い分野で翻訳・執筆活動を行っている。著書・翻訳書多数。訳書にシラー『それでも金融はすばらしい』(2013年、東洋経済新報社)のほか、ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房、2014年)バナジー&デュフロ『貧乏人の経済学』(みすず書房、2012年)などがある。

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