(第1回)私にとっての教養

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稲葉振一郎・山形浩生

現代日本人に教養は必要なのか--社会思想研究家の稲葉振一郎氏と翻訳家・評論家の山形浩生氏が、さまざまな切り口から「教養」を語る。

 稲葉 まずは、自分にとっての教養とは何かということからお話ししたいと思います。僕にとって教養とは「自分には欠けているもの」という思いがあります。自分があまりお育ちが良いという気はしてなくて、アッパーミドルというよりはロウアーミドルくらいの出自で、育った家庭が文化的に豊かだったという憶えもありません。だから、戦後啓蒙を代表していたような人たちに対しては、ある種の羨望感を持っていました。教養とは自分にとっては欠如しているもので、欠如しているがゆえにそのありがたみを幻影のように欲してしまう。まず原点として、自分にとっての教養とは、そういうものだと。
 似たような思いは、大学闘争世代に属するような僕の先輩の一部の学者たちも、じつは共有しているんですね。大塚久雄のような自分の先生たちの世代に対しては、ある屈折した思いがあります。たとえば、丸山真男なんかが自己を「知識人」としていることに対して、大学闘争世代の学者たちは、到底そういう自己規定はできない、でも知識人は無理だけど「研究者」であれば何とかなる、という言い方をする人もいます。僕自身はそこからさらに、研究者にもなれない。知識人の下に研究者がいて、さらにその下ではないかという意識があるわけです。
 では、自分には教養が欠けていると言って、それを「あのブドウは酸っぱいに違いない」とあきらめるのではなく、欠けているものを渇望するのは決して恥ずかしいことではない、ということは言っておきたいですね。

 山形 僕は、『新教養主義宣言』(晶文社、1999年)なんてタイトルの本も出していますが、じつは「教養とは何か」について明確なイメージがあるわけではないんです。この本のタイトルも、出版社がつけたものです。本の中では、みんなもう少しいろんなことを知ってるとおもしろいんじゃない、とも言ってますが、半分くらいは営業的な意図のある話ですね。みんながいろんなことを知ってくれたほうが、僕の本がもっと売れる可能性が出てくる。
 もう一つには、「動物化」論のような議論に対して、反論したいという思いもあります。
 動物は人間と違って、「腹が減った、飯を食う」といった、刺激に対する単純な反応で生きていますが、人間はそんな単純ではなくて、たとえば「食べたら太る」とか「これをやるのは社会的に許されない」とか、もう少し複雑に考えるはずです。東浩紀『動物化するポストモダン--オタクから見た日本社会』(講談社現代新書、2001年)などで論じられている「動物化」論とは、非常に粗っぽく言えば、人間がどんどん目先の刺激にだけ反応していくようになっていく、というお話です。
 確かにそうかも知れませんが、一方で、それってしばらくやっていると飽きるんじゃないの?とも言えるわけです。飽きたら、その次には、世の中を必要以上にややこしく見たくなったり、反対に、ややこしいと思っていたものをややこしくないように見たくなったりするのではないか。自然とそういう方向に行くのではないか、という期待があります。そこで教養とか知識とかが役に立つ可能性があります。
 じつはいま、エインズリーの『意志を分解してみると』という本を翻訳していますが、その中に、人はなぜ飽きるのか、という話があります。それによれば、最終的には予測可能かどうかが問題なんですね。人は、同じ満足度であれば、できるだけ早くその満足を得たいと思ってしまいます。だから、オチがわかる話を聞くと、心が先にオチのところに言ってしまうのを止めることはできません。最終的に、出だしを聞いただけで結末を予想するようになると、まったくつまらないという段階に達してしまう。
 それに対抗するためには、話を複雑にして、すぐにはとらえきれないような状態をつくるという方法があります。あるいは、複雑に見えて到達できないと思っていたものに、道筋をつけて到達できるようにするというやり方もあります。教養とは、そういう面での貢献ができるツールという気がしています。

稲葉振一郎(いなば・しんいちろう)
明治学院大学社会学部教授。1963年生まれ。主な著書に『経済学という教養』(東洋経済新報社、2004年)、『オタクの遺伝子』(太田出版、2005年)、『「資本」論--取引する身体/取引される身体』(ちくま新書、2005年)、『マルクスの使いみち』(共著、太田出版、2006年)、『モダンのクールダウン』(NTT出版、2006年)等。
ウェブサイト:http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/

山形浩生(やまがた・ひろお)
評論家・翻訳家。1964年生まれ。主な著書に『新教養主義宣言』(晶文社、1999年)、『たかがバロウズ本』(大村書店、2003年)、訳書に『環境危機をあおってはいけない』(ビョルン・ロンボルグ著、文藝春秋、2003年)、『クルーグマン教授の〈ニッポン〉経済入門』(春秋社、2005年)、『ウンコな議論』(ハリー・G・フランクハート著、筑摩書房、2006年)等。
ウェブサイト:http://cruel.org/
稲葉 振一郎

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山形 浩生 翻訳家

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やまがた ひろお / Hiroo Yamagata

翻訳家。1964年東京生まれ。東京大学工学系研究科都市工学科修士課程、マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程修了。大手調査会社に勤務する一方で、科学、文化、経済、コンピューターなどの幅広い分野で翻訳・執筆活動を行っている。著書・翻訳書多数。訳書にシラー『それでも金融はすばらしい』(2013年、東洋経済新報社)のほか、ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房、2014年)バナジー&デュフロ『貧乏人の経済学』(みすず書房、2012年)などがある。

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