保育界の"改革野郎”、「日本」との戦い方 新世代リーダー フローレンス代表理事 駒崎弘樹
“社会を変える”を仕事にするーー。今、日本に、そんな新しい価値感が押し寄せている。志を胸に国内外で躍動する「社会起業家」は、いまや若者のあこがれの職業であり、閉塞感漂う日本を変える起爆剤として、存在感を増し続ける。病気の子どもを預かる「病児保育」を手掛ける認定NPO法人フローレンス代表の駒崎弘樹は、間違いなくその代表的人物である。
ITバブルで日本中が沸いた2000年ごろ、駒崎はITベンチャーの学生社長だった。ところが、目的なく成長を追求する自分の仕事に疑問を持ち、「“社会を変える”を仕事にしたい」と思い立つ。
社長を辞め、慶応大学卒業と同時にフリーターに。模索する日々を送る駒崎にヒントをくれたのは、ベビーシッターをしていた自身の母親だった。母親に子どもを預けていた依頼主が、子どもの病気で1週間会社を休んだことが原因で、解雇されたという。当時駒崎に子どもはいなかったが、なぜかその話が胸に突き刺さった。
病気の子どもを預かり、誰もが仕事と子育てを両立できる社会を作る。そう決めてからの展開は早かった。医学部出身でも、保育士でもない駒崎が、誰も実現できるとは思わなかった「病児保育」の仕組みを、ゼロから作り上げたのだ。
2005年にサービスを開始し、現在は東京・神奈川を中心に約50の市区町村に展開。需要は増え続け、この2012年度の売上高見通しは5億4000万円、前年度比で21%増を見込む。
駒崎の挑戦は病児保育の分野にとどまらない。待機児童問題の解決へ、そして働き方の革命へと、テーマはどんどん壮大になる。
物腰柔らかに見える駒崎だが、ひとたび口を開けば、その言葉は過激そのもの。「僕のような“改革野郎”には、敵も多いでしょうね」と、こともなげに言う。
まさに社会起業家としての駒崎の日々は、戦いの連続。彼が戦ってきた日本の現実とは、どんなものだったのか。またこれから何に挑み、何を勝ち取っていこうというのか。
お役所仕事が、成功しない理由
――病気の子どもを日々預かるとは、改めて考えるとすごい仕組みです。救われた親は本当に多いと思いますが、それにしても国や自治体、ほかの民間団体いずれも、フローレンスの後には続きませんね。
実は、病児保育の国策化には一度、失敗したと思っているんです。かつて厚生労働省がわれわれのところにヒアリングに来て、国策として全国でやり始めると言い始めたことがありました。2006年から「緊急サポートネットワーク事業」という名称でスタートしましたが、たった3年で廃止同然になりました。
要は、国がやってもうまくいかなかったんです。ある日、お役所の方がうちに来て、たった2時間ヒアリングしただけで、モデルの肝もわからないまま、いきなり制度化してしまったんです。
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