ゴジラが破壊した「蒲田」は昭和の楽園だった

黒澤商店がつくった自給自足の共同体

まさに黒沢工場村は、店主黒沢貞次郎を父として、「一方ならぬ御教導」をなし、「一視同仁」によって築れた一大家族の「吾等が村」として営まれていた。村の生活は、大正14年(1925年末)において、86戸320余人からなり、「吾等が村は一大家族主義であります。相互に扶け合ひ、親切を旨とし、睦ましく、愉快に苟くも人の噂さをする如きを慎み、模範工場としての面目を永久に保持する様努め居らるゝ事は信じて疑はない所」であるから、「勤倹を主とし、和気藹々真の水入らずのおつきあいを致したい」とよびかけたなかにうかがえよう。(『大田区史』下巻、328頁)

この黒澤村(吾等が村)に関して、『大田の史話』によれば、「渡米中にみたシカゴのプルマン寝台車会社のコミュニティにならい、工場、従業員住宅、幼稚園、小学校、農園、プールからなる理想郷」を作ったということです。「リンゴの唄」の作詞者としても知られる若き日のサトウハチローは、この工場を訪れて次のような感想を記しています。

門をくぐっておどろいた。左手に工場、右手に野菜畑、桜の並木は、はるかにつゞき、コンクリートの道には、ゴミ一つ落ちてゐない。(略)学校のわきに、深さ一尺位のプールがある。夏になると水あそびをするのだ。学校の右側には、水道の給水塔がある。ことこゝに至っては、おどろきの一手より他にない。(『僕の東京地図』より)

このような中世田園都市を思わせる共同体が、5・15事件や満州事変の時代の東京・蒲田に存在していたことに、驚くとともに、あらためて興味を抱かざるをえないのです。

家族主義とキリスト教によるユートピア

もし、戦争による蒲田地域の破壊と、戦後のGHQによる支配、制度改革がなければ、黒澤商店は、日本を代表する会社として戦後の日本に君臨していたに違いありません。黒澤商店の戦後の様子をみると、株式会社化していなかったために、貞次郎の死後、莫大な贈与税を課せられることになり、会社存続が危うくなったことがうかがえます。

彼らのつくったユートピアは、一種独特の家族主義と、キリスト教的な理想主義が合体したものであり、その価値観は戦後の日本に少なからず影響を与えていたはずです。そして、多かれ少なかれ、黒澤商店の持っていた家族主義や、封建的な会社がセーフティネットとなって労働者を支えるという一種独特の社会主義的な光景が、高度経済成長以後も日本の会社社会に残り続けることになりました。それらが、崩壊していくのは1980年代の後半、消費社会化が極致を迎え、価値の紊乱化が進んだバブル時代になってからのことです。

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