イランから亡命した女性が見た移民の「真実」 米国へ亡命して30年間で何が変わったのか

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イランから米国へ移民してきた女性の気持ちは30年間でどのように変わっていったのか(写真:vichie81/PIXTA)

母と私が、移民をめぐる論争が巻き起こる前に米国へ亡命できたのは幸運だった。現行の法律にスキルや金銭面での追加条件を求められていたら、決して入国できなかっただろう。いやはや、当時ひねくれたティーンエイジャーだった私自身ですら、私たちは全くの役立たずだと思っていたのだが、誰かが私たちを望んでいることに唖然とした。

私たちは、税関に申告するスーツケースすら持たず、1985年に手ぶらでやって来た。英語はまったく理解できなかった。初めてのデートのとき、ウェートレスにペプシよりもコーラの方がいいかと聞かれても、私には何のことだか分からなかった。

亡命当時に抱えていた「怒り」

私は多くの怒りを抱えていた。祖国イランから追い出されて愛した人々や場所を失った怒りだけでなく、物書きを仕事にしたかった私としてはとりわけ、大好きだった言語を失った怒りが強かった。1979年のイラン革命が自由と民主主義をもたらすだろうと約束したエリートへの怒り。校庭で毎朝「米国に死を」と大声で叫ぶ革命後の教育を受け、長いこと米国に抗ってきたのに、そのなすがままになることは、楽ではなかった。

その怒りは、ほとんど収まらなかった。知りたがり屋で、心優しい人たちがすぐに、知らず知らず「どこから来たの?」と聞いてくるからだった。

私の答えを聞くと、その人たちはハッと息をのみ同情してこんな風に言い返してきたものだ。「ここにいられて、さぞかし嬉しいでしょうね!」

当時、私のうれしい気持ちは、キツネに捕われた小鳥程度だった。ニューヨークのJFK空港の回転ドアを通り抜けた際に見た全てモノの大きさ――人、SUV車、頭上を交差する高速道路――は、私自身を小さく見せた。

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