「レイバン」から農家。地方で家業を継ぐ難しさ 武将の末裔が育てる「菊」

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――東京ではどんな仕事をしていたのですか。

子どもの頃はゲームが大好きで学生時代はコンテンツビジネスに興味があったので、エレクトロニック・アーツというアメリカ系ゲームソフト会社の日本法人に就職しました。担当は経営企画やマーケティングです。

「レイバン」から菊農家への転身

1年後にミラリジャパンに転職しました。「レイバン」などのメガネフレームやサングラスを扱うイタリア系の会社です。ここでもマーケティングを担当しましたが、半年ぐらいで辞めてしまいました。

仕事にはやりがいがあったし、生活も楽しかった。でも、東京でずっと暮らしていくイメージが自分には持てませんでしたね。満員電車が苦手だったこともあります。自分は長男だから家業を含めて実家をどうするのか、本当にやりたいことやるべきことは何なのかともやもやしながら暮らしていました。30歳をメドに田原に戻ろうかと、なんとなく考えていたのかもしれません。

離れの自室にて。宮沢賢治のように「農業をしながら芸術・創作活動をしていく」のが目標

――実際に戻ってみてどうですか。

東京に比べると圧倒的に何もない場所です(笑)。でも、家には庭があって、車でプラーッと出かけるとのんびりした風景がある。この生活が自分には合っているのかなと、今では納得しています。仙台・東京・ロンドンという都会で暮らしてみたから、わかったのかもしれませんね。

気持ちの切り替えのために、夜や週末は豊橋の街に出ることが多いです。車で1時間ほどですよ。英会話とギターの教室に通ったり、友達と会って食事したり、副業で中高生に英語を教えたりしています。

――菊農家というのはどんな毎日なのでしょうか。

うちの場合は、朝8時半から働き始めて夕方5時には仕事を終えます。ビニールハウスが2つと温室が3つあり、ローテーションで生産して月1回のペースで出荷できるようにしています。苗の植え込みから出荷までは4カ月ぐらいです。その間に水やりや消毒、芽かきといった作業があります。僕は実家に戻って今年で6年目なので、生産の流れもだいぶわかってきました。

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