早くも陰り…九州「産業革命遺産」の課題山積 世界遺産登録の恩恵が、熊本地震で急変
産業の近代化の歴史を紡ぐ「明治日本の産業革命遺産」が昨年7月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されて1年がたった。
九州の16施設には登録決定後、観光客が一気に押し寄せたが、ブームが落ち着いて熊本地震も重なった今、当初の勢いはない。世界に誇る「地域の宝」の価値をどう発信し、次世代に守り伝えるか。模索が続く。
「大牟田に観光客がたくさん来て、昔みたいに発展したらうれしい」。三池炭鉱関連施設の一つ、宮原坑(福岡県大牟田市)で7月に開かれた登録1周年を祝うイベント。ボランティアガイドとして観光客を案内している地元の駛馬(はやめ)北小6年の子どもたちが声を弾ませた。
熊本地震で状況は急変
関係自治体でつくる「世界遺産協議会」事務局の鹿児島県によると、宮原坑の2015年4〜12月の来訪者数は5万6800人で、前年同期比で32・4倍に増えた。近接する万田坑(熊本県荒尾市)も3・6倍の9万4100人、幕末佐賀藩の三重津海軍所跡(佐賀市)は4・8倍の14万6400人を集めた。
同じ期間、もともと「廃虚ブーム」で知られた端島炭坑(長崎市、通称軍艦島)の来訪者数も19万4800人に上った。ただ、前年同期比では1・5倍。事務局は「登録の恩恵は以前からの観光地より新たに脚光を浴びた施設が絶大だ」と分析する。
ところが、今年4月の熊本地震で状況は急変した。3月に3万1千人が訪れた端島炭坑は、5月には1万9千人になった。地震の直接的な被害がなくても客足に大きな影響が出ている実態を物語る。