――その中でご遺族からはどのような声が返ってきたのでしょうか?
事実を伝えてほしいという声が多かったです。もちろん面白おかしくしないという条件付きですが。それと皆さんが言っていたのは、またこれから先、ほかの場所でもこういった大きな災害が起きる可能性があるから、災害への心構えみたいなものを持つためにも、ぜひとも多くの人に見てもらいたいということでした。どうしてもやめてくれという人が一人でもいたら、やめるつもりでした。
もちろんプロデューサーやおカネを出す方たちも、全員がどうしてもやりましょうというわけでもなかった。むしろやめた方がいいという人たちもいましたから、やらないという選択肢は簡単だった。ただ、今まで僕が20年以上作ってきた中で、例えばワイドショーで見た事件や恋愛沙汰に対して、これを素材に面白いものが作れるな、なんていつも思っているのに、どうして震災だけは口に出さずに逃げるのかと。そういう考えは僕の中でいくと卑怯な感じがして。それはもう生き方の問題ですよね。
映画ではご遺体を写さないようにしましょうとか、『遺体』というタイトルをやめて『希望』にしましょうとか。そういうことを考えていくと、最後は撮らないほうがいいという選択肢になってしまう。でもそれは僕が言ったような「生き方」の問題で、自分に嘘をついていることになるのではないか、という気持ちになるんです。
被災地へカメラを向けたことは生涯責任を負う
――3.11以降、いろいろなエンターテインメントが自粛、延期され、作り手の皆さんが悩んでいた時期がありました。それでも君塚監督は向き合わなければいけないという選択をされたということですね。
被災地にカメラを向けたということは、おそらく僕は生涯責任をとらなければいけないことだと思う。「じゃあこれで公開は済みました。震災というテーマの映画は終わったので、次はこんなテーマで撮ります」というわけにはいかない。やはり映画を作って偉そうなことを言っていた以上、おいしいところだけをいただいて、そのあとは面倒くさいし批判されそうだから、ここはやめておこう、というような考えを持つわけにはいかない。そうでないと、僕が今まで作ってきたものが全部ウソになってしまう。
――アメリカの場合は、9.11があって、クリエーターの意識が変わらざるを得なかったと思うのですが、3.11以降、君塚さんも含めて日本の作り手の意識も、やはり変わりましたか?
もちろん。『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』にしたても、あれはプロットを書いている時点で震災になっていますから。あのとき主人公の青島は震災を経験しているのか、していないのかということも議論になってくるわけです。とにかく僕たちはずっとリアリティーを追及して創作をしてきたわけです。だから本当にリアルな現実の映像を見せられると、やはりかなわないなとは思いますよ。
9.11のときもそうでした。つまり、創作によって現実を見せようとしているのに、現実にビルに突っ込む飛行機を見せられたら、作り手はどうしたらいいの? という状態になる。ハリウッドでは、5年間くらい「どうしたらいいの?」という状況に陥った。その5年の間に、大きな大作が日本に来なかったから、日本の邦画バブルにつながった。
だけど、僕らは5年間の空白というのを知っている。5年後に9.11を撮ったところで、物語化が起きてしまう。5年経ったフィルターがかかってしまう。監督や映像作家にとって、あの日はなんだったのかという話になってしまう。それがわかっていたから、僕はこの映画を今作らないといけないと思った。何年経たないとれは作れないという発想は、自分の中にはありませんでした。
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