「イスラム国」こそが、反イスラム思想である 当事者への取材によって浮かび上がったこと
ちなみに、モースルの裁判所では驚く話を聞くことになる。なんとIS以前の裁判官は全て殺されたというのだ。法を作る事が出来るのはアッラーのみであり、その権限を犯して作られた近代法を行使していた裁判官たちは殺されて当然という理屈らしい。ISの裁判所ではイスラーム教を学んだものがシャーリアに基づいて裁判をしているという。ISの戦闘員たちは同じ理論に基づき、民衆に選ばれた代表が立法権を持つ民主主義を完全に否定する。
ISの支配地域ではジズヤという人頭税を払えば自由に生活できるという。アブー・カターダはこれを慈悲ととらえているようだ。その一方でシーア派はイスラームの教義を誤って解釈している背教者であり、正しい宗派に改宗するか殺されるかしか道はないという。「もし世界中の1億5000万人のシーア派が改宗を拒んだら全員殺されるということですか?」との著者の問いにアブー・カターダは「その通り。これまでのように……」と答える。
ISこそが反イスラームである
このように考えるISの戦闘員たちに著者は何度も繰り返す。コーランのどこに、そのような事が書いてあるのかと。コーランは常に慈愛と寛容に満ちているではないかと。しかし議論は平行線をたどり、次第に著者たち一行とIS戦闘員たちの関係は険悪で敵対的なものになっていく。
本書末の「イスラム国」のカリフと外国戦闘員への公開書簡と題された第九章は必読だ。ブッシュやブレアの犯した戦争犯罪を痛烈に批判しながらも、それを超えかねない勢いで虐殺を行うISを厳しく追及することにより、戦争というものの本質を見事なまでにあぶり出している。
またイスラーム教は慈愛に満ちた偉大な宗教であり、1400年前にこのような思想を広めようとしたムハンマドを偉大な革命家であり、社会改革者であると断言する。そして、もしムハンマドが現代に生きていれば、1400年前に書かれた思想を現代に無理やり当てはめようとしないだろうという。それのみではなくイスラーム教は世界文化であり、この偉大な宗教の名をかたりながら、反イスラーム的な行動を繰り返すテロリスト達からイスラームを守らなければならないと主張する。
本当のイスラームは決してテロを生む土壌にはならないはずだ。著者はコーランの「誰かが一人を殺せば、それは人類全体を殺したようなものである」という言葉を示し、多くの虐殺をおこなったISこそが反イスラームだと結論づける。「ISこそが反イスラーム」まさにこの言葉こそISの真実であろう。
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