――やはり映画スターを作るんだという意識があったのでしょうか。
それは結果として、ですね。とにかく映画の世界で生きられる人はそんなに多くいるわけではない。テレビに出るようになると、だんだんとカリスマ性がなくなってしまい、映画スターからは離れてしまう。映画スターであり続けるというのはものすごくエネルギーがいることですし、相当ストイックでないといけない。経済的なリスクだって背負いますからね。
そこはやはり角川さんのバックボーンがあったからこそできたことだと思います。東映も専属の俳優さんがいて。高倉健さんや菅原文太さんなどそうそうたるメンバーでしたが、時代の流れで皆フリーになっていく。でも角川は薬師丸さん、原田さんの映画、渡辺典子さんの映画とローテーションで作ろうということで映画を作り続けてきたわけです。
――そんな薬師丸さんも『Wの悲劇』を最後に角川春樹事務所から独立します。
いったん白紙に戻したかったらしいですね。『Wの悲劇』で燃え尽きたというか、すごい映画でしたからね。
宣伝のエポックメーキングだった
――今、角川映画の宣伝を振り返ってみていかがですか。
やはり今の映画宣伝のエポックメーキングだったと思いますね。ここを機にテレビスポットを大量に打つようになりましたし、ここを機に全国キャンペーンをやることになりましたから。角川さんが今の日本の映画宣伝のベースを作ったと言っても過言ではないですね。既存の映画会社がやらなかったことをやるのが角川映画の理念だったわけです。だからわたしたちは東映という会社の中でも異端児だったわけですよ。それはいまだにですが(笑)。そして、今の製作委員会のはしりにもなっている。レコード会社や出版社がタッグを組んで、作品を当てるためにみんなで頑張ろうぜという。
――初日舞台あいさつも角川がはしりなのでしょうか?昔はあまりやらなかったと聞いていますが。
多分そうだと思います。もちろんオールナイト上映といった特別上映に菅原文太さんがやって来た、ということはありましたが、ルーティーンで初日に向けて舞台あいさつをやるというのは、角川さんが先鞭をつけたのではないでしょうか。今では当たり前のようにやっていますけど。
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