グローバルエリートからの講評
今回の対談で印象に残ったのは、城氏が“ブラック企業”および“労使の使い捨て”についてしきりに言及されたことだ。私は“ブラック企業”について見識が浅く、仕事を通じて成長を志向して参入障壁を築けという話をしていたため、ここでの議論に若干かみ合わない点がある。これは以下で説明するように、労働者と人財の間で二極化が進んでいて、我々がそれぞれ異なる労働市場を想定して議論していたためだろう。
いわゆるエリート層の獲得に奔走するグローバル企業は、自社の差別化要素となる“人財”を引き付け、引き留めるために、ますます社員の幸福や自己実現を重視するようになってきている。これは労働力の二極化にともない、企業側も“人財社員”と代替可能な“労働力”とみなす社員への対応に明確な差をつけるようになっているためであろう。
そもそも世間で語られる “ブラック企業”とは何か。本来はおそらく労働者を搾取し、その外面と反社会的な実態がかけ離れているような悪徳企業を指したのだろうが、今では労働者を単純に投入コストとみなす企業をも指すようになっている。
グローバル化が進めば、参入障壁が低くグローバル競争にさらされる性質の労働者への分配率は日本国内の規制では守れずグローバルなオープンマーケットで決まる。よって仮に田中さんなり佐藤さんが、差別化された付加価値を会社にもたらす“人財”ではなく、グローバル競争にさらされる単純労働しか提供できないのであれば、企業の労働者に対する責任からの“労使契約以外の要素の排除”は必然の流れといえよう。
厳しい言い方になるが、仮に田中さんや佐藤さんがゆでガエル経済に護られてきて、グローバル市場の観点からは “代替可能な労働者”であるならば、ワークライフバランスや自己実現を要求できないということだ。それを望む前に、企業の差別化要素となる人財になることをまず目指せ、というある種当たり前の話を再認識することが重要であろう。
ただし私は決して“労働者の使い捨て”に与しているわけではない。むしろ、“企業を使い捨てられる”ように、若い頃に全力で自己研鑽に努めてほしい、というのが趣旨である。タイトルは新米編集長の意向でやや刺激的に“若者にワークライフバランスなんていらない”となっているが、真意は「ワークライフバランスや自己実現を企業に求める交渉力が身に付くよう、独自の付加価値と生産性を高めてほしい」という暖かい応援メッセージだと受け止めていただければ幸いだ。
城繁幸氏との対談感動の最終章である次回コラムでは、今後のキャリア設計に向けた建設的提案と、グローバルな争奪戦となっている"人財"を獲得するために、日本企業がなすべきことを語らせていただきたい。
※ 対談の続きはこちら:
(撮影:今井康一)
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