グローバル化という名の無理難題
特定の国家(例えば日本)の事情に不利に働いても、発言力がなければ、不平等ルールでも従うしかない。外交力(軍事力にも裏打ちされる)が不足している日本は、こうしたグローバルルールから誘導される不利な条件を、飲まされ続けているようにも見える。
だいたい、日本人は「グローバル化」と「国際化」を混同している人がまだ少なくない。グローバル化とは、「地球が一つになって平和になる」と思いがちだが、それは大きな間違いだ。国際化には、国家という観念が存在するが、グローバル化には国家を越えた地球化という観念しか存在しえない。
先の衆議院選挙ではTPP(環太平洋経済連携協定)問題が議論されたが、TPPも考え方は同じである。確かにTPPの国際ルールは議論と交渉で決定されるが、実際には各国の特殊事情に基づく個別ルール、すなわちローカルルールは、グローバリゼーションにはなじまない。いや、もっとはっきり言えば存在しえないといっても、過言ではない。技術論は別にして、日本という国家にとっては、TPPに組み入れられるよりも、個別の国家間でのFTA(自由貿易協定)を結ぶ方が、時間はかかっても危険性は少ないだろう。
だがFTAならうまくいくかというと、それも違う。韓国などは、米韓FTAで、米国の属国になったといっても過言ではない。日本に追い付き追い越すような経済性を優先した結果、安易に米韓FTAを結んだが、明らかに不平等条約となった。韓国の持っていた文化や制度までもFTAルールで蹂躙されているように見える。少なくともFTAの契約上では米国の奴隷だ。これがTPPになるとFTAよりも選択肢は狭まるから、日本の自主性はなくなるだろう。
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