恋人としてはどんなに魅力的な相手であっても、結婚するにはふさわしくないこともある。康文さんと史江さんのように、お互いの「家族像」がかみ合わないことが起こりうるからだ。
同棲中もすれ違いの生活なのに結婚なんてできない、という史江さんの判断は正しいと思う。子どもが欲しくない史江さんに対して、出産年齢の限界を理由に結婚を急かすところからして間違っている。康文さんはワーカホリック気味な生活への反省もなく、ひたすら自分の理想を求めようとしたのだ。さまざまな負担が史江さんにかかることを直視しようとはしなかった。
おそらく史江さんは康文さんのちょっとわがままで非現実的な性格も好きだったのだろう。しかし、結婚生活は現実だ。「夢物語」のようにはならないどころか、お互いに不幸になって憎み合う事態に陥ることもある。史江さんは別れを決意した。
「最後の1年半は恋人ではなく単なる同居人になっていました。マンションの更新はせずに解散するのは暗黙の了解です。引っ越しをするとき、すでに何度も会っていたうちの両親に対して、彼はきちんと挨拶をしてくれました。『このような結果に至ったのは非常に残念なことですけど、今までお世話になりました』と。ケンカをして別れたわけではありません。しょうがないよね、という雰囲気でした」
相変わらず弱かった「第二印象」
史江さんがマンションを出て一人暮らしを始めたのが2011年の年明け。1年前には友彦さんと再会を果たし、ときどき食事に行く間柄になっていた。ただし、お付き合いを始めてはいない。同棲している相手がいる間は大人の関係にはなりたくないという史江さんのけじめだった。
では、2010年にさかのぼり、友彦さんとの馴れ初めを聞こう。どんな経緯で再会し、彼の「第二印象」はどうだったのだろうか。
「2人とも同じファッション業界で働いているので、展示会などで顔を見かけることはありました。そしてあるイベントの懇親会で偶然一緒になったんです。お互いに知り合いが少ない場だったので、仕方なく会話しました。印象は特に変わりません。髪の毛がずいぶん薄くなったな、と思ったぐらいです」
友彦さんへの関心は引き続き低かった史江さん。一方の友彦さんのほうは積極的にアプローチをかけ始めた。同じ会社で働いていた頃も史江さんに好意があったのかもしれない。男性の場合、かつて恋心を抱いた女性に対する気持ちは年齢を重ねても変わることはほとんどなかったりする。
「その後、仕事で夫と関わるようになりました。『この資料の参考データ、間違ってない?』とか言ってきて、相変わらず細かいなコイツ、と思っていましたよ。でも、そのプロジェクトに携わる人たちで食事に行くことになったとき、『積もる話は改めてしたいので、食事会の前に2人で近況報告会をしませんか』と誘われたんです。気が進まないけれどしょうがないと思って付き合うことにしました」
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