白隠禅師の教えとは
白隠禅師という江戸時代の名僧がおられます。同じ禅宗の中でも曹洞宗・黄檗宗の隆盛に比べて衰退していた臨済宗を復興し、臨済宗の中興の祖として尊敬を集めたお坊さんです。白隠は、今の静岡県の原という地において、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と謳われるまでに、仏道に励み熱心に教化をされました。
臨済禅では、修行僧が悟りの道を歩むための課題として与えられる「公案(こうあん)」を大切にします。修行僧はさまざまな種類の公案に向き合って智慧を開発していくわけですが、白隠禅師が考えられた公案に、「隻手の声(せきしゅのこえ)」という有名なものがあります。
「両掌相打って音声あり、隻手に何の音声かある(両手を打ち合わせると音がするが、では片手ではどんな音がするのか)」という質問に答えなければならないのです。修行者は悩みますが、それは僧侶として磨かれる大事なプロセス。白隠禅師の意図としては、この質問が、修行僧に人間の分別を超えた境地を体得するよう導くということであったようです。
さて、白隠のお寺の門前に、一軒の餅屋がありました。その餅屋の「おさん」という婆さんが、白隠禅師の公案に対して「白隠の隻手の声を聞くよりも両手を打って商いをせん」と一首詠みました。おさん婆さんは白隠の弟子でしたから、「隻手の声」の公案に込めた白隠の意図を理解しなかったわけではないでしょう。ユーモアで、「片手の声を聞く暇があったら、両手を叩いて商売をしよう」と詠んだわけです。
それに対してさらに、白隠は「商いが両手叩いてなるならば隻手の音は聞くにおよばず」と返しました。両手を叩いているだけでお客さんが来るなら、隻手の音を聞こうという公案修行に取り組む必要もない。つまり、商売で成功しようとする人においても、結局のところ最後に必要なのは人格の向上であるということが示唆されています。これまたユーモアたっぷりの切り返しですね。
この、「隻手の声」にまつわる白隠とおさん婆さんの問答にも象徴されるように、今も昔も変わらない成功の秘訣は、人格の向上にこそあるということです。今の社会がそのような原点回帰を志向しているのだとすれば、今後はリーダーシップ開発の場面で仏教が活用され、MBAプログラムにおいて積極的に瞑想が取り入れられる可能性も、十分にありそうです。
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