新人育成に悩む人が陥りがちな「2つの罠」 相手の人間育成までやる必要はありません!

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本来は、これも業務なのだから、「いつまでに」「どのような状態に」するために「どのように」指導するか、が話し合われ、上司と部下に共通認識があるべきなのです。たとえば、「この作業は、3カ月以内にひとりで出来るようにすべし」とか、「半年以内に、最低1件は新規契約が取れるように、行動管理をすること」とか、業務上の目標設定がされるべきだということです。

そうなっていれば、その目標を実現するために、あなた自身がどのような行動を取って、どのように育成していくつもりか、計画を上司と共有できるし、成果についても明確な基準を持つことができます。後輩とのコミュニケーションでかみ合わなくても、ゴールに向けてプロセスをふんでいる実感を持つことだってできるでしょう。

それなのに、「この子の面倒を見ておいて」といったことしか言われず、「教育担当」というミッションを渡してくるから、つらいのです。「面倒をみる」って、ものすごく解釈が幅広いですよね。あなたがよかれと思ってみている「面倒」も、後輩からすれば、「いちいち、うるさいなぁ。そこまで管理されるの?」と思ってしまうことだって起こりうると思います。

2つ目は、ひとつ目で説明したようにミッションやゴールがあいまいなために、仕事上の育成から飛躍して、「人間としての育成」までやろうとしてしまう人が多いこと。真面目な人ほど、業務を超えて後輩の人間性にまで踏み込みすぎて、出口を見失うこともあるのではないでしょうか。そして、背負えないことまで背負いこんでしまう。これでは悩みは深まるばかりです。

後輩の人生に首を突っ込みすぎ

私もかつて、新人の育成担当を任された時に、この2つの渦に巻き込まれてしまったことがあります。手取り足取り細かく指示を出したり、都度都度報告させたり、なんとか師弟関係を結ぼうと何度もごはんに連れていったり。私とその後輩の場合は、かみ合わないながらも、二人三脚で「OJT」に取り組んでいるように、外からは見えていたようでした。「かわいがってるね」「堂薗さんに特訓されてます、ってうれしそうに言ってたよ」などと声をかけられると、すっかりうれしくなって「とっても優秀な子なんですよ」とはしゃいで答えていたものです。

そんなある日、彼女から、プライベートで抱えている問題について知らされました。重い問題で、私は「私に何ができるだろうか」とすごく悩みました。なんとか力になれないかと、自分なりにいろいろ調べてみたり人脈をたどって解決策を探ったり。

そうしているうちに、上長に呼び出されたんです。上長は私に、「僕も彼女の問題は知っている。だけど、お前のような関わり方はしていない。それは、僕が彼女の人生を背負って生きていくことができないからだ。お前は背負っていくこともできないし、責任もとれないくせに、彼女の人生に首を突っ込みすぎだ。その関わり方が続くならば、お前を教育担当にしたのは失敗だ」と言ったのです。

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