キティちゃんの名参謀は、異端のエリート 新世代リーダー 鳩山玲人 サンリオ取締役
名字からもわかるように、鳩山は名門鳩山家の一員だ。鳩山一郎元首相の弟である鳩山秀夫が、鳩山の曾祖父に当たる。
鳩山自身の経歴を見ても、三菱商事、ハーバードMBA、35歳でのサンリオ役員就任と、典型的なエリートコースをたどってきたかのように見える。しかし、実際に彼が歩んできた道は、いわゆる日本型の「偏差値エリート」とはひと味違っている。
その人生において、最初の岐路になったのが、高校1年生のときに迎えた父の死だ。40歳での早すぎる死は、鳩山に大きな変化をもたらした。
「学校でも真面目に勉強しなくなり、格好も行動も多少乱れました」
それまでの鳩山は、“お坊ちゃま”としてまじめな生活を送り、成績もつねにトップクラス。東大合格は間違いないと言われていた。だが、父の死後は勉強に身が入らなくなり、スケボーやダンスに熱中するようになる。成績はみるみる下降し、受験には失敗。浪人生活を送ることになった。
盛田昭夫、井深大、石倉洋子との出会い
そんな鳩山を救ってくれたのは、祖父だった。祖父の鳩山道夫はトランジスタ研究の草分けの一人で、ソニー研究所の初代所長を務めた人物だ。
浪人時代、入院していた祖父のもとにお見舞いに行くと、そこには盛田昭夫と井深大がいた。鳩山が来るタイミングに合わせて、祖父が2人を呼んでいてくれたのだ。2人が話してくれたソニー創業当時の話は、彼の心に火をつけた。
そして、1年の浪人生活の後、帰国子女で英語が得意だった鳩山は、青山学院大学の国際政治経済学部に合格。それを祖父はとても喜び、一通の手紙を送ってくれた。そこにはこんなメッセージがつづられていた。
「大学は重要だからちゃんと勉強しなさい。イノベーションは思ってもみないものが交差して起こる。航空力学だって、生物学を取り入れたりしながら発展してきた。嫌がらずにいろんなことを勉強していけば、そこからイノベーションが起きる。世の中にムダな学びはないんだよ」
祖父のアドバイスを、鳩山は忠実に守り抜いた。大学に入ると、一つの授業も休まず、哲学でも何でもあらゆる分野の学問を貪欲に学んだ。そして、3年生のときに人生の師に巡り会う。経営学者の石倉洋子教授のゼミに参加することになったのだ。教授の実践するハーバード式の授業に鳩山はしびれた。
「石倉先生のゼミでは、英語でディスカッションをしたり、ハーバードのビジネススクールでやっているようなことを模倣的にやっていたんです。それが面白くて、はまっちゃったんですね。マーケティングや戦略論がすごく好きになりました。東大に行けなかったおかげで、石倉先生に出会えた。なにか運命的なものを感じますね」