津田大介「世界一の政治メディアを創る」 新世代リーダー 津田大介 メディア・アクティビスト

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その狙いは大正解だった。

津田氏は、誰よりも早く、コピーCDやファイル交換ソフトなど当時の音楽業界が抱えていたさまざまな問題に注目。各誌で記事にするだけではなく、自らのブログにも書き、それに目を留めた編集者から声をかけられ、単行本を出版するに至った。こうして著作権問題に詳しいITジャーナリストの地位を確立すると、JASRAC(日本音楽著作権協会)主催のシンポジウムに呼ばれるまでになった。

そして、そこで文化庁の官僚たちと出会い、06年には文化庁の「著作権分科会」の審議会のメンバーになった。

的確なキャリア戦略と偶然の出会いをテコに、まるで「わらしべ長者」のように活躍の場を広げていったのだ。

06年、審議会のメンバーになったことは、津田氏にとって大きな転機となった。1つは、政治への関心が高まったことだ。それが現在の「世界一の政治メディアを作る」という挑戦につながっている。

「学生時代からずっと怠惰なノンポリでしたが、政治や政策に無関心でいては、自分の好きなものがいつか誰かの勝手な都合で変容させられてしまうことがわかった」

ウェブで政治を動かした、成功体験

審議会は、本来的には、政策決定プロセスで民間の知恵を借りる場だ。しかし、実際は、「役人の大いなる意志によって予め方向性が決められているお手盛りの会議。審議委員の多くは“御用学者”で、役人の決めた政策のお墨付きを与えるにすぎない」ことを痛感したと言う。

しかし、ここでただ、役人の言うなりになる人ではない。

当時審議されていたダウンロードの違法化を何とか食い止めたかった津田氏は、インターネットユーザーの立場から情報通信政策を提言する団体「MIAU(インターネットユーザー協会)」を立ち上げ、抗議の声を上げた。だが、ダウンロード違法化は規定路線どおり法制化されてしまった。

だが、実際に「ウェブで政治を動かした」画期的な成果もあった。06年、「著作権保護の延長問題」に待ったをかけたのだ。

「著作権保護の延長は、文化創造のサイクルを止めてしまう。そんな思いから、クリエーター側にも延長反対論者は結構いた」

そこで、インターネットで延長反対のクリエーターを集め、任意団体を作って、メンバーを著作権保護の審議会委員に人選してくれと文化庁に掛け合った。この要望は受け入れられ、実際に著作権保護の延長が止まった。

この成功体験により、津田氏は、専門分野ごとに“土地勘”のある人間が審議会での議論をウォッチし、的確に問題点を指摘すれば、本当に政策は変わることを悟った。

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