バトルロワイヤル化するTwitter なぜ”マス”メディアに変貌したのか
Twitterはソーシャルメディア「だった」
前回のコラムでは、2009年ごろのTwitterを振り返った。炎上とはほど遠い、内輪のサロン的な空間だったと書き、「そう。かつて、Twitterはソーシャルメディアだったのだ」と思わせぶりな文章で締めたが、尻切れトンボで申し訳なかった。前回を読まれていない方は、読んでから戻ってきていただけるとありがたい。
ソーシャルメディアの定義はまちまちだが、ここでは、ユーザーの発言と交流によって成り立つオープンなメディアというイメージで定義したい。ユーザー同士が対等に話し合え、そこから何らかのアウトプット、「メディア」が生まれるという意味だ。
ソーシャルメディアとしてのTwitterに助けられたことが筆者にも何度かあった。休日に原稿を書きながら、思いついたネット論などをTwitterに“だだ漏れ”し、読んでいる人から意見をもらって自分の考えを修正したり、Twitterで政治家に直接話しかけて“取材”したり――。ソフトバンクの孫正義社長は以前、Twitterを「外脳」と評したが、Twitterによって脳が拡張されたような感覚を、筆者も感じていた。
誰でも発信・交流でき、意見を言い合い、みんなでより良い答えを探していける。インターネット的だなぁ、楽しいなぁ、なんて思っていたのだった。
だが、Twitterがソーシャルメディアだった時代は短かった。芸能人や有名人、新聞、テレビといった“マス”側の参加が増えるにつれ、マス情報を受け取るために、まるでメールマガジンを受信登録するような感覚で、受け身でTwitterに参加する人が増えてきた。
2011年の東日本大震災も大きなきっかけになった。電話がつながりにくくなった震災時、情報インフラとしてTwitterが注目を浴び、政府や自治体が次々に、情報発信のためのアカウントを設置。その情報の受信と、友人や家族などごく親しい人との交流だけを目的に、Twitterに参加する人も増えた。
「公式RT」の推奨も、Twitterの受け身化に一役買ったと思う。震災以前は、他人のツイートを自分のフォロワーにも見せたいと思った場合、手書きで「RT」と書いた上で元のツイートを引用し、意見や感想を付ける「非公式RT」を使うのが主流だった。
だが、震災をきっかけに、「公式RT」がTwitter運営側から推奨された。公式RTとは、ボタン1つで他人の発言をRTできる機能だ。ツイート主の言葉は編集なしに転載され、元発言が削除されればRT先も削除される仕組みなので、非公式RTでありがちだった、元ツイートの内容が歪めて転載されたり、ツイート主が後で間違いに気づいてもRT先の内容が消せないといった問題を解決できた。
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