「楽器」の真実をどれぐらい知っていますか ピアノの鍵盤はなぜ88鍵?

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81. 明治以降、ピアノ製造を続けるヤマハは1969年にピアノ生産量世界1位となり楽器事業では国内トップ

82. ピアノをはじめハーモニカやリコーダー、ピアニカといった学校教材用楽器からギター、ドラム、バイオリン

83. チェロ、トランペット、サクソフォーン等100種類以上の楽器を生産する楽器メーカーとしては世界唯一

ヤマハが誕生した

ヤマハの社章にもなっている音叉(写真 :佐竹 美幸 / PIXTA)

84. 1987年に社名を解消し日本楽器製造は「ヤマハ」となったが、〈3本の音叉〉を交叉させた社章は健在だ

85. 日本で最初に「吹奏楽」が演奏されたのは、1854年に横浜に上陸したペリー提督一行が応接に向かった際

86. 横浜の海岸近くの応接会場までペリー一行が歩く間、米海軍の軍楽隊は吹奏楽を奏で続けた

87. その後、日本は開国するがほどなく生麦事件が勃発。それをきっかけに薩摩藩と英国の間で薩英戦争が開戦

88. 結果、講和交渉を経て和解するが、その交渉中、薩摩藩主・島津忠義は鹿児島湾に停泊中の英国軍艦に乗船

89. そこで英国軍の軍楽隊が演奏する吹奏楽に魅了された忠義は1869年10月薩摩藩から30名の若者を選抜

90. 彼らは横浜・妙香寺で合宿し英国陸軍軍楽隊の指揮者ジョージ・ウィリアム・フェントンに吹奏楽を学んだ

91.  彼らは楽器演奏をすぐにこなしたばかりか、楽譜の読み書きも吸収し、英字新聞の英国人記者たちも驚嘆

92. 日本人として初めて西洋音楽である吹奏楽を学んだ「薩摩藩洋楽伝習生」はサツマ・バンドとも呼ばれた

93. サツマ・バンドはのちに日本海軍軍楽隊の礎となり、現在の自衛隊音楽隊の源泉ともなった

94. 現在でも横浜・本牧にある妙香寺の境内には「日本吹奏楽発祥の地」の石碑がある

95. 1918年6月1日、日本で初めてベートーヴェンの『交響曲第九番』が演奏された

96. 演奏は、第一次世界大戦中に青島で俘虜となり徳島の板東収容所に収容されていたドイツ人が編成したオケ

97. 「徳島オーケストラ」とも呼ばれ、指揮は沿岸砲兵隊軍楽隊長ハンゼン。男性のみの収容所合唱団も参加した

98. 「第九」は好評で同8月にも日本人を前に再演され、音楽愛好家の徳川頼貞侯爵もその様子を著書に記した

99. 徳島オーケストラの舞台となった板東俘虜収容所の正門前にはドイツ人俘虜が開いた音楽教室もあった

100. その様子は映画『バルトの楽園』(2006年)にも描かれ、現在鳴門市には「第九の里」という道の駅もある

(文/寺田 薫:モノ・マガジン編集部、モノ・マガジン2015年12月2日号より転載)

■参考文献
参考文献・HP/「音楽の歴史」(河出書房新社)「楽器学入門」(時事通信出版局)「世界の音楽なんでも事典」(岩崎書店)、ヤマハ、浜松市楽器博物館ほか関連HP
モノ・マガジン編集部

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『モノ・マガジン』はワールドフォトプレス社が発行するモノ情報誌。原則、隔週で発行している。公式サイトhttp://www.monomagazine.com/

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