「楽器」の真実をどれぐらい知っていますか ピアノの鍵盤はなぜ88鍵?

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61. このメカニズムを備えた楽器を「ピアノフォルテ」(弱い音も強い音も出せる)と名付けた

62. のちに「ピアノ」と省略して呼ばれるようになるが、当時クリストフォリのピアノには54鍵しかなかった

当初は54鍵しかなかった

63. その後、ピアノ音楽の発展によって1890年には現在の88鍵・7オクターブ1/4という音域が定着する

64. 人間の耳は約20~20000ヘルツの範囲の音を聴き取れるが、音程として判断できるのは4000ヘルツが上限

人の耳が音程として判断できるのは4000ヘルツが上限(写真 : tiler84 / PIXTA)

65. そのためピアノの鍵盤を88鍵以上に増やし音域を拡大しても、人間の耳にはノイズにしか聴こえない

66. 一部の海外メーカーでは低音部に9鍵多い「97鍵ピアノ」を特注することができる

67. これは他の鍵を弾いたとき、その弦に共鳴させて音に豊かさを与えるためで低音9鍵が弾かれることはない

68. 日本にピアノが伝来した時期は不明だが、国内に現存する最古のピアノは山口県萩市の熊谷家にある

69. このピアノは1823年に来日したオランダ人医師シーボルトのもので、のちに熊谷家に寄贈された

70. シーボルトのピアノは1806年頃の英国ロルフ社製でスクエア型をした小型ピアノであった

71. 1846年に千葉で生まれた西川寅吉は19歳で横浜に移住し、楽器輸入商ドーリング商会で働き始める

72. 生来、西洋楽器に興味があった西川は、横浜の英国人やドイツ人からオルガンやピアノ製作法を学ぶと独立

73. 西川風琴製作所を設立し、1884年に「国産オルガン」を製作すると、87年にはピアノ製作に着手する

74. 一方、医療器械の修理工だった山葉寅楠は、浜松尋常小学校のオルガン修理をきっかけに楽器製作に開眼

75. 山葉は1888年にオルガンを製作。次にピアノを作り始めると国内の博覧会に出品し、西川と技を競い合った

76. しかし両者が当時、製作したピアノは外部の木工部分だけが国産であり、内部の主要部品は輸入品であった

77. 1897年、山葉は「日本楽器製造㈱」(現ヤマハ)を発足すると、さらに本格的な楽器製作へと乗り出す

78. 1900年には若手の松山大三郎、山葉直吉、河合小市(河合楽器創設者)らと共に初の国産ピアノを完成する

79. ライバルであった西川は息子・安蔵をアメリカ留学させると1907年に日本初のグランドピアノを完成させた

80. しかし西川の死後の1921年、彼の会社はライバル山葉が築いた日本楽器製造に合併され、横浜工場となった

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