恵まれているのに「不幸だ」と感じる人の目線 「足りないもの」を嘆いても幸せにはなれない
正当な方法で手にした豊かさであっても周囲はそれを妬むだろう。事件にまで発展せずとも「奪われるのではないか?」という恐怖心は、次第に人の精神を蝕んでいく。豊かさを失う恐怖心は、それを持っている人にしかない悩みである。
人は様々な欲望を持っている。例えば食欲、性欲、親和欲、所有欲、名誉欲などである。欲望そのものは悪いものではない。私たちが仕事を頑張ったり、コミュニケーションを工夫したりするのは、そもそも欲望があるからだ。しかし注意すべきなのは、「人間の欲望には決して際限がない」という点である。
人間の脳は、欲望を叶えても決して満足しないようになっている。そうでなければ私たちの祖先が生きて子孫を残すことができなかったからだ。私たちは「簡単に満足しない祖先」の遺伝子を受け継いでいる。ずっと欲しがっていたものを手に入れると、人はそれに対して次第に急激に興味を失う。いったん欲を叶えると満足よりも「飽き」を感じてしまうのだ。
「いくら手に入れても満足できない」
心理学者のシェーン・フレデリックは、この現象を「快楽適応」と名付けた。「必ず手に入れたい!」とかつては望んだ車、仕事、収入、場合によっては配偶者さえも、手に入れると次第に飽きを感じ始めるように人はできている。「いくら手に入れても満足できない」と欲望に振り回され、一度しかない人生の貴重な時間を浪費することが「最大の不幸」とムヒカ氏は言う。
ムヒカ氏が所得の9割を寄付していたのは、残り1割で手に入る生活に十分な満足を感じることができたからだろう。「欲望に際限がない」ということを、氏はよく分かっていたのだ。ではどうやったらムヒカ氏のように、欲望に振り回されることなく、わずかなものだけで幸せを感じられるのだろうか?
紀元前3世紀ごろ、古代ギリシャで活躍したストア派の哲学者、ルキウス・セネカは、欲望との付き合い方についてこうアドバイスする。「いま自分にとって当たり前のものが、失われたときのことを想像しなさい」つまり、当たり前になった車、いつもと変わらない仕事、増えない収入、見飽きてしまった配偶者、それらを失ったあとの世界をあえて想像するよう勧める。
例えばあなたが配偶者との生活に飽き飽きしているとする。その場合、相手がこの世を去った世界を想像するのだ。人は、失った後でしかその価値に気付かない。だからこそ本当に失う前に、その大切さを知る必要がある。いま周りにある「当たり前」が消えた世界を想像してみたらどうか。見飽きたものに対する印象が変わるはずだ。そのとき「いかに恵まれているか?」に気付くはずだ。
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