鈴木氏の問題意識は明確だった。それは、商店がみずから改革を進めていない結果ではないか、ということだ。鈴木氏は商店街を説得するために、代替案を探す。他の流通業者とおなじく、アメリカに視察に出向き、そして小型店ながら効率的な経営をするコンビニエンスストア、セブン-イレブンを発見するにいたった。小型商店に対する代替案として、コンビニエンスストアビジネスを提案したのだ。
当時の識者からは反対にあいつつも、鈴木氏はセブン-イレブンの日本上陸を成し遂げる。東京に第1号店ができたのは1974年のことだ。もともと上場を意識して経営し、1979年には東証第2部に上場を果たす。
アメリカ式ではなく小型商店の効率化を支援
セブン-イレブン・ジャパンはアメリカの方法をそのまま採り入れるのではなく、あくまで小型商店の効率化を手伝う格好になった。酒屋などが初期のコンビニエンスストアに化けていったのは、その理由による。
鈴木氏がアメリカに出向きながらも、アメリカと異なる方法を模索したのは、人材育成の面もあった。アメリカでは中途入社で、店長クラスをひっぱってくる。一般社員においても、産学協同的な教育がなされている。いっぽう、日本では、それら慣習や教育は皆無だった。だから、年次によって細かな教育システムを当時から構築してきたし、ボトムアップ型の指導を心がけてきた。
アメリカで、勘と経験に頼らない商業のありかたを学び、環境の変化に追随するために、常にデータを重要視した。それまで仕入れは、KKDH(勘・経験・度胸・はったり)に支配されていた。何個くらい仕入れるか、そしてタイミングは個々人まかせだった。
しかし、考えてみればわかるとおり、1日に10個ほど売れるものもあれば、数日でやっと1個がさばけるものもある。それを、コンビニエンスストアにある3000~3500アイテムのすべてを確認すれば、効率的な仕入れができるはずだ。誰もが理屈はわかる。でも、やろうとしなかった。それを愚直に推進したのが鈴木氏だった。
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