「食べる」ドラマがテレビを席巻しているワケ 「ごちそうさん」「天皇の料理番」脚本家が語る
──戦時中の食事シーンはどうでしたか?
戦争になると食材がないので、料理も作れない。国会議事堂前を掘り返して芋畑にしている写真を見て、「みんなほんとに困ってたんだな」みたいな。紙の上ですけど、戦時中と同じ体験をさせてもらいました。
みんな持ち寄ってやらないと料理にならないという状況で、共同炊事も本当にあったんですよ。国が推奨した「興亜パン」という完全栄養食は、材料が魚粉と大豆粉。大豆粉というから黄な粉のようなものかと思ったんですが、そうではなく油粕を細かくしたカスカスの大豆。今だと肥料に近い。魚粉も鰹節や煮干しの粉なら美味しそうですが、これも「肥料です」って言われて……いろいろビックリでした。
──「ごちそうさん」では“食べるドラマ”を作った、という意識がありますか?
結局、このドラマで一番描きたかったのは、料理そのものではなく、“食卓を囲む人”だったんです。食卓を囲むのは、最初はめ以子の実の家族だったわけですが、結婚して彼の実家に行くと誰も同じ食卓についてくれない。そこから、だんだん味方が増えて、子どもができて、夫の妹も一緒に住んで、どんどん人が増えて。でも戦争によって食卓を囲む人数がゼロになって、そこから立ち上がっていく。一番やりたかったのはこの動きなんですね。
すべてを奪われて、そのなかでも人間は食べることを根源的にやめられないんだっていうところ。卑しくもありたくましくもあり、それこそが生きる力なんだ。そしてそれがもう一回幸せを取り戻す力になっていく、みたいなことをやりたかったんです。
「天皇の料理番」では料理に“夢”を託した
──”食べるドラマ”として、続けて去年は「天皇の料理番」を書かれましたけど、これも人間ドラマに料理をはめこんだ感じですか?
「天皇の料理番」のほうは原作小説があり、そのモデルのエッセイもあるし、宮中晩餐を集めたメニュー表も全部残っているので、私が料理を考えるような余地はほとんどなく、むしろその料理の出てきた意味を考えるほうが大きかったですね。
この番組が料理に託したものは“夢”なんですよ。だから同じ料理ドラマでも、まったくベクトルが違う。自分のやりたいこと、自己実現、ひいては国家のためになる、夢としての料理。だから、また続けてっていう気持ちは全然なかったですね。むしろ「ごちそうさん」でやれなかった側面の料理をやらせていただいたっていう感じのほうが強い。