「食べる」ドラマがテレビを席巻しているワケ 「ごちそうさん」「天皇の料理番」脚本家が語る
──時代をずらせば、食べるものも、食べる雰囲気も変わってきますよね。
私が大阪から東京に出てきたとき、すべての食べ物の味の濃さが違うことに衝撃を受けたんですけど、昔はもっと違っていたはずですよね。言葉ももっと違っていただろうし、今のように日本のどこにいても何でも食べられる状況ではないので、味がそのまま、内側の人間と外側の人間を確実に分けたと思います。味の文化みたいなものが色濃く残っているから、地域色とか、そこに根づいたものが描きやすくて、そのギャップをそのまま人間関係に投影できるという強みがありました。
──主人公は東京から大阪に行ったわけですが、西と東の書き分けはどのように?
基本的に西は昆布出汁で、東は鰹節の文化で、醤油の色が違うとか。あと、大阪の人は鯛が好きらしいですね。祝い事っちゃあ尾頭つきだし、「鰯も百ぺん洗えば鯛の味」って大嘘までついて鯛を愛でていた(笑)。
意外だったのは、あの時期、卓袱台がなかったこと。だから、はじめのほうはお膳で出しました。卓袱台的なものも出してるんですが、形は丸くないんですよ。
そういう基礎知識は、大阪の食文化の本で勉強しました。昔からの船場のおやじさんの食事とか、新しくできてきたサラリーマン家庭の食事とか、そういう文献は結構あるんです。
調べていくと、あの時代にガスが普及して、火が簡単につくようになって、それまでねえやとかばあやとか、みんなでやらないと家事が終わらなかった状態から、一人で料理できるようになり、専業主婦が成立するようになった。そのなかで小林カツ代さんや栗原はるみさんのような人が何人かいて、そういう人の資料を全部読み漁って合体したのが主人公のめ以子(杏)なんです。モデルにしたのは、あんなに馬鹿じゃなくて賢い人ばかりでしたが(笑)。
食べさせることで人を幸せにしたい
──食いしん坊のめ以子が、自然な流れで食べさせるほうに回った……これはすごいなと。
「食べたい」だけだった頃のめ以子は“欲求”ですよね。だから彼女の生命力みたいなものを強く出しました。それが、食べさせる側になってからは、自分は作るのも食べるのも好きだから、食べさせることで人を幸せにしたい、という気持ちに変化する。そこに至るためには「食べさせたい人」が必要なので、旦那さんという形で出てきてもらいました。
──食を、命とか人間ドラマに落とし込むということは、最初から意識したんですか?
もちろん。先に人間のドラマを考えるんです。そこに当てはまる料理はないか、何ができるか、ということは後に乗っけていく。だから、例えばめ以子は悠太郎(東出昌大)と出会って彼を尊敬しないといけない、その尊敬するきっかけのアイテムは必ず料理でなくてはいけない。好きになっておぼろげながら彼の役に立ちたいと願う……そこに合う料理を後から考えていく。人間関係のドラマが先に全部あるんです。
ただ、週タイトルと話と料理が全部リンクしないといけなくて、タイトルが駄洒落にならないから素材を変えていいですかという回もあったり……これはキツいハードルでした(笑)。