カシオ、波瀾万丈「デジカメ20年戦争」の全貌 つねに不振と復活の繰り返しだった
だが、成功は長くは続かない。QV-10の成功を見るや、30社以上がこぞってデジカメ市場に参入し、競争は一気に激化。誤算も重なった。カシオはデジタルらしさを追求し、画像加工を中心に機能を強化したが、ユーザーが求めたのは画質だったのだ。激しい画素数競争に取り残され、カシオは業界で立場を失っていく。
事業存続が議論されるほどの不振に陥る中で、カシオは新規開発に特化した部隊を新設。そこで改めて「デジタルにしかできないことは何か」を考え抜いた結果、カメラの形状に課題があることに行き着いたのだった。
当時の製品は、デジタル化はしたものの、形状はフィルムカメラと変わらず、イベントの時に持ち出すといった用途も変わっていなかった。そこで、カードサイズまで小型化し、「つねに持ち歩けるようにする」新しいコンセプトで開発を推進。2002年に「EXILIM(エクシリム)」を投入する。
EXILIMはもくろみ通りにヒット。6月の発売からわずか2ヶ月で増産が決まる。それからは、3倍ズームを搭載した機種、バッテリー性能を伸ばした機種、業界初となる1000万画素を実現した機種など、新たなコンセプトの製品を次々に発売。2008年3月期には約1400億円を売り上げ、カシオのデジカメ事業は第2の全盛期を迎える。
再び赤字転落、事業撤退も検討された
再び手にした栄華も、長くは続かなかった。他社も追いつき、再び競争は激化。2009年3月期以降、4期連続赤字と苦戦が続いた。さらに、スマートフォンの普及が進み、コンパクトさを売りにしたデジカメを侵食し始めたことで、市場環境は悪化の一途をたどる。
カメラ事業が赤字に沈んだのとほぼ時を同じくして、カシオのほかの事業も不振に陥った。「Gショック携帯」として親しまれ、当時のカシオの中核事業だった携帯電話事業や、すべてのデジカメメーカーに供給し、高いシェアを誇っていた液晶事業がともに赤字に転落。3事業ともに撤退が議論され、実際に携帯電話と液晶は他社との提携を経て非連結化が決まった。
このとき、デジカメ事業は縮小こそ決まったものの、事業は継続された。ほかの2事業に比べて投資金額が少ないという事情もあったが、「樫尾和雄会長のこだわりがあったのだろう。カシオらしい製品を作れる余地もあった」(中山執行役員)からだ。
赤字脱却に向け、カシオは他社が発売していないような、独自のヒット商品の開発に力を注いだ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら