1980年ごろ、トランプのマンハッタンのプロジェクトで解体工事を請け負った業者があった。その業者は簿外でポーランドの不法移民を雇用していた。トランプは知らなかったと主張したが、のちに和解した。
いずれにしても、このやりとりを聞いていた組織人の大勢は、「何万人も雇用して大きな事業をいくつも手がけていれば、訴訟もあろうし多少の問題もあって当然」と感じただろうし、ルビオに対しては、「大きな仕事もせず従業員もいなければ問題はおこらないし、他人の批判をするのは楽だよね」と懐疑的にみてしまっただろう。
さらにルビオは、トランプに対して「2億ドルを相続していなければいまごろマンハッタンの道端で時計を売っているだろう」と批判を続けた。トランプは即座に、「私は100万ドルを借りて事業をはじめ、100億ドルのビジネスに育てた」と反論した。ミリオンセラーとなった『トランプ自伝』によってばかりでなく、アメリカ人はもう何十年もトランプを身近に目にしてきており、トランプの主張のほうが事実に近いことを想像できる。彼の父フレッド・トランプがマンハッタンではなくブルックリンの地味な不動産開発業者であり、彼が他界した際はすでにトランプは巨万の富を築いていたことも知っている。
何より、アメリカは成功を讃える国だ。少なくとも共和党は、個人の努力や才能を認め讃えることをよしとしていたはずだ。たとえ有利な条件でのスタートであったとしても、それは変わらない。にもかかわらず、ルビオは突然、民主党のようなレトリックを使ってしまった。ルビオに期待を残していた共和党寄りの視聴者の多くは、ここでも大きな落胆を覚えたのではないか。
ルビオは討論会で機転が利かないわけではなかったし、予備戦の序盤で新十ドル札にふさわしい女性を問われ、ローザ・パークスと即答した時は共和党の未来のように光っていた。パークスは1950年代の差別的なジム・クロウ法のアラバマ州で、白人のためにバスの座席を譲ることを拒否した女性であり、公民権運動の母といわれた人物だ。ジェブ・ブッシュがマーガレット・サッチャー元首相を、ジョン・ケーシックがマザー・テレサをあげたのと比べると新鮮だった(ルビオのあと、クルーズとトランプも同じくパークスの名をあげたが、ルビオを真似ている感が残ったので印象は薄かった)。
いざという時に安定しているのはどちらか?
だが、トランプには勝てなかった。ルビオは3月15日に指名争いからの撤退を表明した。
共和党の視聴者は、イデオロギーにも選挙戦のキャンペーンにも大きく揺さぶられることなく、ただ候補者同士の応酬をみながら、「いざというときはトランプのほうが安定しており、仕事ができそうだ」という判断をくだしたのではないか。才気煥発だが経験は浅い若者が、百戦錬磨の奸雄にはかなわなかったとでも言うしかない。大勢がはじめからトランプを支持しているというよりは、選挙戦を眺めているうちに彼しかいなくなってしまったという状況だ。
8年前、耳心地のいい演説の天才をリーダーに選んだアメリカは、スピーチライターが書いた演説の美辞麗句に飽きているし、共感できなくなっているようにも思う。たしかに外国人である筆者から見ても、たとえば2012年のミット・ロムニーを指名した共和党大会とオバマ大統領を指名した民主党大会に大きな違いはなかった。両者のレトリックは、要するに「誰もが頑張れば報われる自由の国アメリカ」というものであり、まさに選挙用の美辞麗句だった。
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