『襲われて』を書いた柳川喜郎氏(前岐阜県御嵩町長)に聞く
「事実は小説より奇なり」の「生々しい体験」を克明につづる。産廃問題で暴力・金力・権力と対決した元マスコミ町長に、廃棄物・環境問題、さらに地方自治の実感論を聞いた。
--10年以上前に全国の注目を集めた岐阜県御嵩(みたけ)町の産廃処分場問題は、実はまだ終わっていないようですね。
いい方向に変えていく動きが進行中だが、まだおかしな方向に行きかねない。計画地200ヘクタールの買い手がいない。計画地利用委員会は、住民投票を尊重する、申請を取り下げる、土地については今後検討するという県・町・業者の3者合意を経て発足したが、許可権者であり監督権もある県が主導権を握っているわけではない。委員は町と業者の10人。公的な委員会なのに条例も根拠法も何もない。委員の報酬6000円は町と業者の折半、不思議な委員会だ。年内に方向性が出る。ただ、知事がしっかりしているのは救いだ。
計画地をどうするか。前知事の言動ははっきりしないが、業者が「オウンリスク」で買ってきて、県や町には責任ないはず。委員会を立ち上げて、町は相談に乗るのはいいが、買い取りの義務はまったくない。中間処理施設ならといったうわさもあり、実際、何に使われるかわからないので、所有権を業者から移しておけば、「禍根」を断つことができる。
-- 一つの町の問題にとどまらず、注目されました。
僕自身、御嵩というミクロの世界で、環境問題の一つの典型的なテーマにぶつかった。環境問題のややこしさは、この産廃問題によく現れている。
環境破壊というのはじわじわくる。目にはさやかに変わらず見え、これはたいへんだとすぐわかるものはほとんどない。気がつきにくいのに加えて、環境問題には不可逆性がある。絶対に元へ戻らない、あるいは元へ戻すには大変なエネルギーと時間がかかるものがある。それだけ、気がついたときには手遅れというものが少なくない。